Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

モノへの執着心

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ものって、自分のにしたくなったとたん、あらゆるめんどうが、ふりかかってくるものさ。もちはこぶものが増え、荷物になるし。だれかにとられぬよう、気をくばらなきゃいけないしね

by スナフキン

さすがスナフキンさん!かっこええですねぇ。
そういえば、スナフキンって、作者の元カレがモデルになってるっていうのを聞いたことがあるんですけど、
そういう事を聞いてしまうと、

スナフキンの言葉もちょっと違うように聞こえてくるような…。


だめだよ。僕は孤独になりたいんだ。来年の春、また会おう。
by スナフキン

僕は世の中全ての事を忘れたいと思っているくらいなんだ。
by スナフキン

いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ。
by スナフキン

あれ、、、?
もしかして、、、
作者さん、元カレに嫌われてたのでは、、、??。


■■■


と、いうわけでおはようございます。
タクさんです。

僕らが抱える「苦」というものは、
何かをつかんでおこう。
何かを自分のものにしよう。
とすることで起こってるのかもしれませんね。

モノもそうなら、
教えみたいなものも一緒でね。

スピリチュアルな教えとか、悟りの教えとか。

そういうものも、自分のものにしようとすると
どこまでいっても手に入れられない。

なぜなら、手に入れる誰かが元々いないからなんですよね。

何にもない、行為者もいないところで、
何かが欲しいっていう観念がただ起こってる。

起こってることの理由を探し出そうとすると、いくらでも理由らしきものが出てくるかもしれません。

欲しいという欲が仮の自分の中に残ってるんだ。
この欲とかを払いのけなければいけないんだ!

っていうような理由とか、

欲しいと思うのは自我の防衛本能があるからなんだ。
自分とか自我ってのが消えたら、そういうことが起こらなくなるはずなんだ。

みたいにね。

そういう理由づけが起こってくるのも、ただ起こってるだけで、
それこそがありのままの「それ」。

起こってくることの先に何かがあるわけじゃなく、
いま、ここに、ただ在るだけ。

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