なーんにも遠慮することはない。
誰にも遠慮することもない。
圧倒的に自分を認めてあげたらいいんです。
自分は宇宙一価値ある存在だということは
良く忘れそうになるので、逐一思い出さなきゃなりません。
出来ないと思う事があったりするかもしれませんが、
それは自分が手を下す必要もない事なんです。
もし、やるべきことがあるとするならば、勝手にやるようになってますんでね。
だから、ほっといて任せきっておったらいいんです。
そして、どうにも気が進まないことも、自分が手を下す必要のないことかもしれません。
そりゃ、やりたいことの中にも、面倒なことはありますが、
それは、面倒ながらもやれるんですけど、
どうにも、これは気が進まんなぁ~ってのは、手を下す必要がない事かもしれません。
できないことで自分の価値を小さく見積もることはありません。
誰かの意見で自分を評価する必要もありませんしね。
なんせ、誰がどう言おうと、自分は宇宙一なわけですから。
これは大げさではなくホントのことですしね。
頭で考えている思考に目いっぱいになってるときは、
この思考だけが自分だと感じてたりします。
そうなると、その頭で何もかもコントロールしようと試みます。
身体さえも、頭で考えてなんとかコントロールしてる気になっちゃったりするんですよね。
でも、頭だけじゃなく、身体も自分だとなると、身体の声が聞こえてきます。
身体が休みたがっていたんだ。ってことに気づくこともあるかもしれません。
頭も身体も自分だと気づいた後は、外にあるあらゆる現象も、自分の中で起こっていたことが明らかになってきます。
目の前の全ては自分の中にある。
自分は頭と身体だけじゃなく、目の前のすべてが自分なんだ!という気づきです。
そのうち、目の前だけじゃなく、認識できるすべて、宇宙そのものも自分だという事が明らかになってきます。
そうなるともう、価値で推し量れるようなもんじゃなく、
素晴らしい大自然の営みも、自分の中のほんのひとかけらでしかなかったことが明らかになります。
生まれた時の赤ん坊のまんまで、すでに宇宙一の価値あるものだったんです。
全てであるそのまんまの「それ」が全てを含む0(ゼロ)です。
0(ゼロ)は何を掛けても、何で割っても0(ゼロ)のままです。
なぜなら、0(ゼロ)は全てだからです。
そこに1とか2を足していって、2から3になろう、4になろうとしていたのが、
今までの人生だったわけです。
数をいくら足しても、0(ゼロ)にはなりません。
全てである0(ゼロ)は最初からあり、そして、離れたことさえなかったんですから。