良い気分でいるのに、何かしらの条件って必要ないんですよね。
そして、良い気分であるなら、それがもうそのまま現実なんです。
とは言っても、手持ちのお金がないから、、、
とは言っても、十分とは言えないし、、、
とは言っても、今日はこのあと嫌な客に会わなきゃいけないし、、、
みたいにね、何かしらの理由があるから良い気分になれないー。
なんて思うかもしれませんけど、
でもね、
そやって、良い気分にいるために理由とか、条件が必要だっていうのは、
思い込みでしかなく、誤解なんですよね。
それと良い気分って関係ないんです。
でもって、
そういう理由が必要だと思っていると、
その思いが原因となって、
いつまでたっても条件探しをしちゃうんですよね。
ありとあらゆる条件を揃えたとしても、
やはり、完全な状態になることってのはありません。
よーし!
お金も十分ある!
人間関係も良好!
体調も万全!
さて、良い気分になるぞー!
ってやったとしても、
ん?
でも待てよ、
明日、怪我しないとも限らないぞ??
昔に比べて年取っちゃったぞ、、
お金、これで十分かなぁ。
銀行に預けたほうがいいかなぁ、投資に回すべきかなぁ?
うんぬんカンヌン。。。。
てね、
心配は尽きないんですよ。
もちろん、これは嫌なことを我慢せないかん!
という事じゃないんですよ。
良いことも嫌なことも起こります。
我慢ならんのであれば、ガンガン逃げるもよし、立ち向かうもよし。
それはどっちでもいいんです。
嫌なことはまあいいとして、
不安とか恐怖とか。
そういうのはどうなんでしょ?ってところなんですけど、
不安や恐怖ってのは、大体のところ、
なにかがわからない状態の時になってたりするんですよね。
じゃあ理解すればいいんやんってなるんですけど、
よくよく考えてみると、
わかることなんて全然なくて、
考えれば考えるほど、わからないことだらけになるんですよね。
不安だからわかろうとする。
わかったつもりになっても、またわからないことが出てくる。
不安になる。
無限ループですね。
わからんでもええんですよね。
ホントのところは。
わかることって、完全な頭の中の物語でしかないわけですからね。
なので、いい気分にいるために、なにかしらのことをわかってなきゃいけない。
なんてことはないんですよね。
だから、んなことはほっといて、ただいい気分になれば良いんです。
わからんことはわからんままでね。
で、その気分。それがそのまんま現実なんです。
引き寄せもクソもありません。
いい気分。
これでもうバッチリです。
結局のところ、
あれを引き寄せたい、これを引き寄せたい。
みたいな思いってね。
それが健康だったり、人間関係だったり、能力だったり、お金だったり、なんでもいいんですが
それもその先になにを求めているのかっていうと、
いい気分だったりするんですよね。
いい気分になるための条件が必要なんじゃなかろうか?
っていう誤解があるから、条件を先に揃えちゃおうって思っちゃうんですよね。
でも、んな条件は必要ないんです。
ほっといて、いい気分になっとれば、もうそれが現実です。
そうしてたら、勝手にことは起こってきます。
もちろん、いい気分じゃないとしても、
んなこと関係なく、ことは勝手に起こってくるんですけどね。
「それ」とは不純物に邪魔されていない。そのまんまのことです。
そして、「それ」はいい気分そのものですし、生命の喜びそのものなんです。
不純物に邪魔されていないっていうのは、単純に不快の不在です。
となると、不快をなんとか無くそうとしなきゃいけないような気もしますが、
んなもん、次から次へと出てきます。
なぜなら、それって何かが足りないって思ってるからです。
足りないがスタート地点にある限り、足ることはありません。
ほっときゃいいんです。
条件なんてかんけーあれへんっ!って感じでね。
すると、足りないものなんて無いことに気づきます。
条件なんて関係なく、良い気分を選択できるんです。
なにかから選び取るんじゃなくて、そのまんまがすでに生命の喜びであって、
足りないものなんて無いってのは、言い換えるともうすでに完璧だってことであって、
それはとっても良い気分なんです。