Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

意味も無い現象が、生命そのもの

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意味も無い現象が、生命そのものです。
そして、その形の無い生命に様々な色付けがなされた時、
生命は見かけ上の形として様々に表現しているような世界があらわれます。
それらの生命たちは、どこにも分離はありませんが、
色付けされた、様々な色ごとに、意味が付与される
分離という概念の中に入り込んだ時に、
私とあなた。
私とあれこれ。
といったように、見かけ上で認識があらわれるわけです。

これらは、あらわれているように見えているだけなんですよね。

でね、
見かけ上での認識が、どのようになされてようが、
その認識が生命そのものに何かしらの影響を与えられる事は無いんです。

だから、わるいことを考えてたら、そんな現実が引き寄せられるんじゃないだろうか?
とか、
いいこと考えたからきっといいことが起こるぞ!
てなことで、
右往左往したりもしなくていいんです。

色付けされた色を見ているだけです。
今つけられた色を、今、見ているんです。

色つきのレンズを覗いただけであって、
確かに赤いレンズを覗くと赤く見えてますが、
実際の景色が赤くもなく、
レンズの赤に何かしらの影響を受けてるわけでもないんです。


「それ」は、
ただ在る。
それだけ。

って事なんです。

あなたは、そのただ在るそのものなんです。
起こっている現象だけがあり、
それを観察する誰かもおらず、
現象そのものが生命そのものであって、
生命そのものがあなたそのものであって、
それ以外に何もなく、
全てが「それ」で全て以外に何かがあるわけじゃ無い。

だから、あなたも私もおらず、
「全て」だけがあるんです。

生命は喜びです。
喜んだ時、思わず、ひょいひょいっと身体が動くのは、
生命のダンスです。

喜ぶのに理由は必要ありません。

ノリノリで木は太陽にむけて枝を伸ばし、
ノリノリで電球は電気を受けて光り輝き、
ノリノリで心臓は鼓動を打ち、
ノリノリで、石ころは転がっています。

ノリノリが生命であり、この生命が意味なんかを意に介さず、
無意味に生命のまんまに表現されているんです。

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