「それ」ってなんだろう?
全てがあるって、どこにあるんだろう?
ってね。
思ったりするかもしれません。
全てはここにあります。
どやー!
ってね。
そう言われても、その実感がわかない。
なんて思ったりするんじゃないでしょうか?
それってね、
全てはここにあるんだけど、
ないのがいっこあるんです。
その、
ないってのは、探究心なんです。
探究だけがないとき、全てはここにあるんです。
※いや、ホンマはそれもひとつの現象としてあるんですけどね。ココではちょっと置いておきます(笑)
なんで、「それ」とかいう抽象的な言い方なん?
といいますと、
探究の結果生じるレッテルがないからです。
だから、ただ「それ」とか「これ」みたいな表現になるんです。
実感がわかないって感じているのは、この探究心がそう言ってるんですね。
全てが完璧であると思えないのも、その探究心です。
だからといって、探究が悪いってことじゃありません。
探究するのってとても楽しいし、刺激的です。
そして「それ」そのものってのは、探究がない分、とっても退屈に感じます。
僕らがほんのちょっと空いた時間でも、何かで埋めたいって思うのは、
退屈が嫌だからなんですよね。
あるのは、ここにある現象だけ。
そして、探究心がそれに理由や疑問を作り出す。
ただあるだけの現象にレッテルを貼って、
どのレッテルを貼ればいいのかわからないものに関しては、
わかろうと材料を探し出すんです。
ですが、探究が溶け、そのまんまにただあるとき、
この上ない親密さを感じます。
なぜなら、あるのはその現象だけ。
これは、視点ではないんです。
ある視点から見た現象があるだけ。
ということじゃなく、自分そのものも含めて、
「それ」だけがあるんです。
主体と客体の距離がゼロになります。
っていうか、最初っから距離なんてなかったことが、
明らかになります。
このゼロってのは、完全なる親密さです。
現象それ自体しかないので、
条件は生じ得ません。
なので、無条件な受け入れであり、無条件な許しなんです。