Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私はいないとは、完全なる自己肯定である

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私はいないというメッセージは、
実は、完全完璧な自己肯定なんです。

一見、私はいないっていうのは、自分が消えてなくなるという風なイメージを与えちゃったりするかもしれません。

ですが、そういう事じゃないんです。

完全完璧な、1000%の自己肯定。

それが「私はいない」というメッセージなんです。

逆に言うと、自己肯定を阻害するもの。

それはぜーんぶ観念です。

観念とは架空の思い込みです。

自己肯定を邪魔するような観念は徹底的にスルーで大丈夫です。

あなたは、今のままのそのまんまで完全完璧です。

そんなわけないよ~、なぜなら、、、、
と出てくるものが観念です。

あなたの価値は世界中のお金をかき集めたとしても足元にも及ばないどころか、
んなもんゴミでしかなく

世界中の価値あるもの話を集めてもそんなものは幻想に過ぎず、あなたのすべてに比べたらとるに足りず、
神やマスターたちも、あなたの中にある本のひとつのカケラです。

神やマスターに帰依するのではなく
本当のあなた自身に帰依するんです。

よく、人は無知であると言われたりします。
その無知とは自分への過小評価ということです。

赤ん坊は何も持っていないにもかかわらず、何にも足りないものはありません。
あなたは、赤ん坊だった頃から何一つ失っていないにもかかわらず、
足りないものという観念が植え付けられていたりしているんです。

「私はいない」というメッセージの「私」とは、
本来の自己を離れた、分離の中にある限定した「私」です。

本来の自分を、私という分離に閉じ込めることは、大半の自分を捨て去ることになり、
分離を重ねるほど過小評価していることになります。
過小評価が極まると自分がもっとよりよく何者かにならねばならないと勘違いし始めます。

元々全てです。

全てを観念の中で分離させるから足りなくなるんです。
ですが、観念はイメージにすぎないんです。

だから、そういった観念が出てきたとしても、
華麗にスルーしていればいいんです。

そのまんまということは、全てであり、
全てには足りないものなんてのはあり得ず、完全であるということであり、

その、「そのまんまである」というのは、自己肯定ということなんです。

分離した観念のカラクリを見抜けば、全てしかありません。

全てが自分です。

そして分離はありません。

分離がないのであれば、「自分」という役割も必要なくなるんです。

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