Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

受け入れられない何かの事

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受け入れられない何かに対して、
それが出てくるのを無理くりせき止めようとする。

これが、不幸の原因です。

せき止めようとはせず、普通に流してやれば、不幸にはなりません。

僕らが求める幸せって、実は不幸の不在なんです。

普通に流れてる状態。
それが幸せなんです。

普通に流れてる状態とはどういうことかと言いますと、
何かを無理くり抑え込まなくても良いという状態です。

お金もあって、大きな家も持ってて、
愛する人がそばにいて、
愛する人に愛されていて、
体はすこぶる健康で、
世界は平和で
なーんの心配もない。

みたいなね。
もし、そんな状態を求めてるのだとしたら、
その求めているものの正体は、

なーんにもせき止めるモノがない、
無理くり押さえ込むものがない状態のことなんです。

だから、何かしら不快な感情があったり、
不快な出来事があったりしたら、
何かをせき止めようとして反発しているエネルギーを
感じているんです。

普通に流れる滝に手をかざして、流れをせき止めようと
頑張ってる感じですね。
だから、水流が手に当たって不快なんです。
これ、前にも書いた気がしますがね。


こういう時って、もうこの不快の中に入り込んじゃう方が手っ取り早いんですよね。
一緒にそのまま流されちゃう。
みたいなイメージです。

手放すとは、そういうことなんです。

一緒にダイブしちゃうことなんですよね。
出てきたがっている不快ちゃんを出てこさせてあげるんです。
抑え込もうとせずにね。

何かしらの不快なことって、具体的な原因があるように思いがちですが、
この原因になっている理由については、まず、一旦置いておいたらいいと思います。

そして、原因が抜けると、感情的なものが残ります。

この感情的なものって、体の感覚として感じられてたりするんですよね。

胸の辺りだったり、腹の方だったりね。

そこんところの力を抜いてみたら良いと思います。
上手く抜けなきゃ、さすってあげたらいいと思います。

感情と体って、コインの裏表みたいなもんで、一つのものなんですよね。

そやって、そのまんまに力を抜いて、ただ流してあげると、
意外とスッキリするかもしれませんよ。

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