探究を終わらせようとして、探究することをやめたとしても、それがいわゆる探究の終わりなのか?
というとそーゆーことではありません。
結局探究の終わりってのはやろうとすることじゃ無いんですねー。
かといって探究とは、いろんなセミナーやワークに顔出したり瞑想の伝授を受けたりすることでもありません。
探究とは、「自分」という概念そのものです。
なので自分を改めて見つめてみること。
それがいっちゃん手っ取り早い探究やないかと思います。
なんか、口のうまい先生は、
探究の終わりは、探究しないことには始まらないのも事実な訳で、みたいな宣伝文句をくわえてね、
その後にすごいセミナーの案内に続いたりするもんなんですけどね、
ぶっちゃけ、
「それ」のことをあなたよりも知ってる人はいないんですよ。
誰かに教えてもらおうとしても、答えは得られないんです。
探究って実は孤独な作業なんです。
何故かというと、探究ってのは自分観察だからです。
こんなん他の人が代わりにやってくれることはあり得ませんし、
何かしらの目に見えないパワーがあなたの自分という概念を吹き飛ばす!なんてこともできません。
マンガじゃあるまいしね。
探究って、退屈かつ地味なもんなんです。
自分を観察し、探究自体が自分そのものだったと見抜くんです。
自分が探究していたわけではなく、
探究そのものが自分だという
パラドックスの発見なんです。