Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ワクッとする感覚

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あなたの奥に在る叡智の声に耳を傾けましょう。
とか、
あなたのハートに寄り添いましょう。

みたいなね。
そういった綺麗な言葉で表現されている事ってよくあると思うんですけど、
これって、僕よくわからなかったんですよね。

同じく、
もしかしたら、みなさんの中にも、よくわからんわー。
って思ってる方もいると思います。

でも、
んなもんよくわからないけど、
なんか、ワクッとする感覚
これならわかるんじゃないかな?
って思います。

つまり、このワクッっとする感じ。
それでおったらいいんでしょ。
って思うんです。

なにかしらの価値観を参照したりすると、
すぐさま
~べき。とか、~べきじゃない。みたいな概念が生まれてきます。
そういった価値観に基づいたいりちゃうと、
ワクッはすぐさまどっかにいっちゃうんですよね。

ホントは、ワクッってのに、理由も意味も必要ないんですよね。

なにかしらの意味や理由づけをしようとすると、
これまた、
ワクッってのがどっかに行っちゃいます。

意味づけや理由づけなんてものも、
そういった何かしらの価値観の押し付けにすぎないんですよね。

また、ある種の興奮状態。
これだと、どこかで疲れちゃいます。

ある種の興奮状態をワクッとした感覚と錯覚しちゃったりもする場合も、
よくあったりするもんですけど、
ここにはどうにもリラックス感がないんですよね。

このワクッってやつは、
探してみつかるモノじゃないんです。

なので、探すのではなく、
あらゆる価値観を排除すりゃいいんですね。

そうすると、存在そのものだけが残ります。

このワクッてのは、この存在の「うずき」みたいなもんなんですよね。
そしてそれしかなかったんです。

価値観っていう意味も実体もない概念を当てはめると、
このワクッを見逃してしまうんですね。

だから、何かを分かろうともせず、明らかにしようともせず、
何かしらを与えてくれそうな価値観探しもやめちゃって、

ただ、そのまんまに、このワクッってのに在りながら、
こまけーことは、お任せしてみるってのが良いんじゃないかなーって思います。

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