Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を捉え間違える、ということ。

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最近は、私はいないとか、自分は概念であってそんなのない。
みたいな話ばっかりでしたので、今日は本当の自分ということについて書いてみよっかなーって思います。

どないやねん!自分っていないんじゃなかったんかい!
ってね。
思うかもしれませんが、
自分がいるでもなく、自分がいないでもなく、
そのどちらでもないんですよね。
本当のところは。

自分がいない状態を手に入れるということでも、もちろんないんです。
そういうことじゃないんです。

なので、その状態を目指そうとすると、変な方向に行ってしまいます。

大事なのは、あなたはあなたの中の自分を捉え間違えている。
ということです。

自分違いをしておるんです。

その自分違いという勘違いに気づくことができると、
あなたはその本質を知ることができます。

もう、私はいないとか、いるとか。
いない状態を目指すとか、
自分を調整するとか。

そういった飽くなき自分探求からも解放されるんですよね。


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あなたの中の本当の自分というのは、完全な自由そのものです。

なのに足りないと思うのは自己不信感があるからなんですよね。
この不信感が満足を欲しがるわけです。

でね、この不信感ってのは、まやかしみたいなもんなんですよね。

本来は足りないものなんてのもないわけで、その中で
「もしかして足りてないんじゃなかろうか?」
と思っているわけです。

この不信感のまやかしを見破るのが、足るを知るという事になるわけですね。

さて、このまやかし。
これはどこからやってくるのか?
という事なんですけど、

これは、意味のない価値観からやってくるわけです。

価値観というのは作り話の一種です。
そして、その価値観があなたに不足感を植え付けるわけですね。

そのまやかしの中では、あなたの自己不信感が埋められるということはありません。

例えば、高い地位を得る。
何かしらのものを得る。

そういったことに価値観を置いていたなら、
あなたは、うまく競争に勝って地位やものを得られたとしても、
それを失うとあなたの価値観も失われることになる。

なので、地位やモノに固執してしまうことにもなる。

これは、悟りたいとか、「私はいない」とかいう非二元メッセージも当てはまります。

これも価値観としてしまうと、
まだ自分は何か知らないものがある。
「私はいない」とかわからない!!!

といった思いを生み出します。

自分より先生やメッセンジャーの方が何かを知っている。
という思いも、自己不信感があるからこそ存在できる考えです。

なので、まずは、
どんな価値観を参照しているのか?っていうのを見てみたらいいんじゃないかなー
って思います。

その価値観の内容については、深く分析する必要はありません。
ただ、何かしらの価値観を参照していたんだなーっていうのに気づいておればいいんです。

この価値観と自分という概念を結び付けているのが、自分違いの始まりだというわけなんですよね。

この価値観は自分じゃなく、ただの価値観でしかないということの気づきです。

価値観は価値観だとして、
そしたら、自分はどこに在るんだろうと探してみたら・・・

結局のところ自分はどこを探しても見つからないんですよね。

見つかるのは体験とか肩書きと言う名の概念や移り変わる姿形という概念。
そういったものだけで、自分という実態は見つけることができないんです。

にもかかわらすあなたは今ここに存在している。
これは確かなんですよね。

いまここに存在しているのにもかかわらず、自分はどこを探してもない。

となるともう答えは簡単。

存在そのものしか存在しておらず、
あなたも存在そのものだということだ!

という事になるんです。

そして、それが何よりもオープンであるにもかかわらす見逃されていたことなんですね。

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