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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何層にも重なるレッテル

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思考ってのは何かしらのレッテルがないと成り立ちません。
どーゆーこと?
ともうしますと、
ま、例えばなんですがね。
思考ってのが数学でいうところの式だったとしたならば、
レッテルというのは、式を構成するための要素の部分なんですよね。

A+B=C

という式が成り立つとすると、
Cとは、AやBよりも大きいという事になります。
※マイナス単位は含まない場合としてですけどね。

このAやBに当たるモノをまず定義しておかなきゃ、
式も作れませんし、式から導き出される物語。
ここで言うところのCはAやBよりも大きいっていうのも作れないですしね。

なので、思考さんは常にレッテルを貼り続けます。
分かんないことがあるとそれを知ってレッテルの材料にしたがります。

材料が多ければ多いほど、精度の高いレッテルが仕上がるんですね。

D-B=A

と言う式があったとすると、
ふーん。そうなんだー。で終わりなんですけど、

A+B=C

という材料も知っていたのだとしたら、

ほうほう、
じゃあ、つまりCはA,B,Dと比べて一番大きくて、

DはBよりも大きいんだな。

と推測できるわけです。


そうすると、A,B,C,Dのレッテルの精度がさらに上がることになり、
なんか、より深く知ったような気になるんですね。

そして、そういうベースがあるから、

レッテルが新たなレッテルを作り、またさらなるレッテルが作られと
何層にも積み重なり世界が構築されていくわけです。
それはまさにバームクーヘンの年輪模様ような感じですね。

■■■

さて、
ちょっとややこしい話を続けてしまいましたが、ここから本題です。

よくね、悟り系の話しなんかではね、
こういった思考に関しては、
「すべての思考は物語であり、レッテルを貼っているだけなんです」
みたいな説明が良くされているじゃないですか?

そうするとね。

そのレッテルが層になり、さらにレッテルを呼んで新たな層を作り、

その層が積み重なって、まるでバームクーヘンのようになっていく。

それで、

じゃあ、その層を取り除いていけばいいんだ。
みたいにね。考えちゃったりすると思うんですよ。

そして、全ての層を取り除いたら
残るのは何にもなさ。
バームクーヘンの穴のように中心には何もないが残るんです。

みたいなね。

そういう考えがあるから、なんていうか、
悟りの段階みたいな話が合ったりもするんだと思うんですよね。

でも、そんな風に層を一枚ずつ取り除くことなんてしなくていいんですよね。

そんなことしてたら
次から次へとレッテルの層が現れてきます。

するとね、まだこんなにも積み重なるレッテルが残ってたのか
とほとほと疲れてしまったりすることもあると思うんですよ。

よくね、
スピ系のワークとかにハマっちゃったりした場合に、
余計に不安が増えたり、
なんか、オレ、スピリチュアルを知ってる!みたいなこだわりみたいなもんが増えたり、
そういったいらないものが増えて、
余計にレッテルまみれになっちゃうパターンってあるんですよね。

レッテルを剥がしていく。
みたいな作業もね。

その剥がす行為が、レッテルを増やす行為も同時に産み出しちゃってたりしててね、
終わりがないんです。

なので、
バームクーヘンごと
ここにあるんやなぁと見てあげるだけで良いんです。

で、あとはほっとくんです。

あなたがレッテルを重ねてたわけではなく、
勝手にバームクーヘンが作られとるだけなんですよね。
ホントのところは。

で、そのバームクーヘンみたいな層も、見かけでそう見えてるだけで、
ホントはそんなもんも無いんです。

そんなことに気づいてくると、
あるように見えてたレッテルも、ただのイメージでしかないことが明らかになってきますし、
バームクーヘンも見せかけにすぎなかったんやーん。
ってなるわけなんです。

確かにレッテルがレッテルを呼ぶようにね。

そんな風に見えるけど
そんなん見かけだけで、
ホントは原因も結果もないんですよね

ただたんに起こってることがあるだけなんです。

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