Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

起こるのはなんにもなさ

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「それ」とはなんにもなさです。
なんにもなさが起るんですよね。

(ま、ほんまは起こらんのですけど。まいいか。)

なぜそれが目覚めと言われたりするんでしょう?

それは、行為や分離の中だけが現実だと思っていた勘違いから目覚めるから。
あらゆる現実だと思っていたことからの目覚めだからかもしれませんね。

それが至福だと表現されているのは、
あらゆる執着からの解放だからです。

執着が不幸を生み出します。
不幸には形がありますが、幸せには形はありません。
あらゆる執着から解放されると、形は残りません。

執着とは、なんらかの概念を参照している。
拠り所にしている、ということです。

「あ!飛行機や―!」と空を指さしているのなら、
あれは、飛行機だという物体だという概念を参照しているわけです。

この概念を参照するという事から解放されると
なんにもなくなります。

このなんにもなさが至福と表現されています。
幸せには形がないからです。

なぜ愛だと表現されているのかといいますと、
分離がないからです。

愛とは共感であり、ゆるしです。

分離がないので、愛を分かつものがありません。
ゆるされない誰かもいません。

全ては愛です。
とか至福です。
なんて言っても良いけど、
有るのは、なんてことのない「それ」だけです。

あなたも「それそのもの」なんです。

誰かが何かを達成するでもなく
誰かが特別になるでもなく

ただ、「それ」だけがあります。

あなたが自分の内面を探索した時、
その最も奥にあるのは、なんにもなさです。
あなたの奥には真我という本当のあなたがいるのではなく、
何にもないんです。

このなんにもなさの発見は
あなたはいなかったという発見です。

私は誰か?と、問い続けた最終の答えも
なんにもなさに行き着きます。

分離がない

私は全て。

全ては全て。

全てしかない。

なんにもない

ということです。


解放とは、自分がいるというウソさに対する見抜きです。

自分が消えてなくなるのではなく、最初っから無かったという見抜きです。

起こっていて、何かをしていても、そこに自分は無いと見抜かれている。
だから、ただ起こっているだけになる。

それが解放なんです。

パーソナリティーがなくなるんじゃありません。
個性は自分に起こっているんじゃないという見抜きです。
何でもない個性が見かけ上でだけ、ただ起こっているんです。

もし、あなたが混乱しているのだとしたら、何かしらの概念を参照しているか、
何かしらの概念を拠り所にしているからなんです。

なので、混乱していると感じたのであれば、
何かの概念を参照していないか?とチェックしてみればいいと思います。

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