満ち足りている。
満足している。
って言うのは、何もしてない時にやってくるんですよね。
もう何もやらなくていい、何かしようと動かなくていいということ。
それが満足なわけです。
ですが、なぜか人は満足を得るために、何かをしようとしますよね。
そして、何かしてる時って、
動いている時って、満足してないんです。
だったら、今満足しちゃえばいいんです。
それが、足るを知るというわけなんですけどね。
不安や不満には、ある種の形、ストーリーがあります。
ですが、満足には形、ストーリーはないんです。
ホッとした時には、なーんもないんです。
あかん!
なんかしなければ!
という癖が満足をどこか先にあるものとしてしまいます。
目の前の美味しい料理を味わうことをせず、
次の料理のことに気を取られてしまってる。
みたいな感じですね。
どこかに悟りがあるわけではありません。
悟りがあなたに満足を運んでくることでもないんですよね。
何とかしなければという思いが、ただ、今満足できずにいるに過ぎないんです。
何か不安になってないと生きていけないことはなく、
何かの知性を磨いておかなければ生きていけないということはありません。
ですが、人はなぜか、そういったものをしっかりと持っていないと
生きていけないのではないか?という不安を抱えているんです。
「それ」への気づきの時、
何が起こるのかというと、
まず、完全に何もわからない!ということが起こります。
そして、何もわかってなくても、ちゃんと生きていけることを知ります。
そして、今まで知っていたと思っていた知性は、
わからないの中のかけらで起きているものに過ぎない。
これらの知性が生きていくことを担保しているものではないと知ります。
満ち足りた、満足にリラックスするのは、今しかありません。
そして、いつか満足するための準備をしているのだとしたら、
それは終わることはないんです。