Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「それ」は起こるべき時に起こる。あなたにできることは無い

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「それ」は起こるべき時に起こる。あなたにできることは無い。

てね、そんな風に言われてたりするじゃないですか。

だとすれば、その時を待つしかないわけで、どうしようもないわけなんですが、
だったら、なんであんたは私にこんな話をしたんだ!

キーーーーー!!

って思ったりしたことありません?

なんて無責任な!

って思ったりね。

サットサンでは素晴らしいことが起こっています!
とか言いながら、
あなたに起こらないのであれば、その時ではないのです。

みたいなね。

あんた、サットサンでは素晴らしいことが起こるてゆーたやないかー!

みたいにね。
思うじゃないですか。
人情として。

今日はそこらへんのことについて書いてみよかしら。
と思います。


「それ」は起こるべき時に起こる。あなたにできることは無い


これはまさにその通りなんですが、
ちょっと説明不足といいますか、言葉足らずといいますか、、、
もうちょっと、ほぐしてあげる必要があるように思います。

まず、
「それ」っていうのは実は起こりません。

なにかしら「それ」というすんごい事が起こってくるというわけじゃないんです。
「それ」とは、
完全なる無知のことです。

無知ってね、
よくね、
お釈迦さんとかのお話とかで言われている無知って、
なんか、どこかにある素晴らしい「智慧(悟り)」があって、
それを知らないことを無知という。

みたいな使われ方してたりしますよね。

まーそれもね、
あれなんですよ。
言葉ってのは、どんな言葉を尽くしても「それ」を表現することは不可能で、
どんな言葉でも半分のウソが混じってくるんですよね。

で、まあ、無知なものが知らない智慧がどこかにある

ってのはちょっとちがって、
智慧がどこかにあるんじゃないんですよね。

あるとすれば、完全なる無知だけがあるんです。

ここで言う無知は、
知ってる、知らないの知らないではなくて、

かーんぜんなる無知です。

その無知の中に既知(知ってること)があるわけなんです。

無知ってね。
絶対に知ることはできないんですよね。

特に完全なる無知ってのは、既知では理解ができないんですよ。

ですが、既知は無知の中に含まれているんですよね。

分かってますよ。
ややこしいことを言っているのは、
でも、そんな感じなんですよね。

では、
完全なる無知とは何か?

といいますと、自己の不在なんですよね。
自覚の不在といっても良いかもしれません。


さて、
自己の不在、自覚の不在とか言ったことを聞くと、
ついつい
よし!この自己、自覚を手放すぞ!
となりがちですが、

ここで「あなたができることは無い」
が役に立ちます。

役に立つってのも、ちょっとおかしいですが、
ま、いいか。

自己とか自覚って、ホントは最初っから無いんですよね。

ホント、マジで。

ついでに言うと、
よく思考を手放すとか言うじゃないですか?

この思考ってのも、ひとつの概念であって、
ほんとは思考ってのもないんですよね。

どういうことかと言いますとね、

思考って、よーく観察すると、
1つ1つ、個別に起こってますよねぇ。

例えば、
あ、今何時やろ?
お、そういえば今日は帰りにスーパーよって帰ろ。
自己がないってどういうことやねん?

とかね。

この個別の何か?はありますよね。
そのことを思考と呼んだりしていますけど、ホントのところは、
思考というものが起こっているのではなくて、

ある種の反応が起こった。
そして、その反応に言葉という記号を付け足して、その記号を頭の中で読んだ。

起こったのはそういう事なんですよね。

思考という何かはそこには存在してませんよね。
そして、そこに自己というものも存在していません。

あったのは、単純な反応のみなんですよね。元々は。

自己も自覚も反応の後に付け足したレッテルみたいなもんなんですよね。

さて、
起こったのは単純な反応のみ。
そして、その反応に言葉という記号を付け足さずにいると、
それは、何でもないものです。
反応ってのも言葉なのでそれも外しちゃうと、もうわかんない何かです。

それを自覚する自己もいないわけですから、それはもう無知としか言いようがありませんね。

あるのは、その「それ」だけで、自覚する誰かもおらず自己もおらず「それ」だけです。
言葉という記号や認識、自覚もないので、
どこかと分離しているわけでもなく、もう「それ」でしかありません。

あるのは「それ」だけなんです。

となると、あなたにできることなんて、最初っから無かったわけなんですよね。
だって、そんな誰かもいないわけですからね。

そして「それ」しかないわけですから、何かをどうこうすることなんてのも出来ないわけです。

もうすでに「それそのもの」だし、何かをする誰かもいないんですよね。

あなたの中の自分という幻想が解かれたら、「それ」だけが残ります。

あなたにできることは無いとき、「それ」は起こる。

という事ですかね。


もっとカンタンな言い方しちゃいますと、

あなたは迷うのをやめるだけ。
それだけで良かったんです。

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