Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

満たされない、これでいいのか?という思い

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「これでいいのだろうか?」
という問いに、
それを満足させる終着点は無いんですよね。

特に、スピのワークとか、
癒しのワークとか。
そういったものの先にたどり着けるどこか?
というものはありません。

なので、そういった教室とか、
癒しの先生のところに通っていたとしても、
そのさきにゴールが訪れることって無いんですよね。

例え、何かつかめたような気になったとしても、
「あなたはそれで完全に悟ったと言えますか?」
「あなたは、これで完全に癒されたと言えますか?」
と聞かれたら、

う、、、、うん。
いや、、、、完全と言われると、完全ではないような・・・。

といった思いに囚われたりするんです。

なので、いつまでたっても、
その教室を卒業することはできず、
いつまでたってもお金を払って通い続けることになったりするんですよね。

この
「これでいいのだろうか?」
という言葉にトリックが仕込まれています。
なぜなら
この問いには答えがないからなんです。

ホントの「それ」とは、
最初っから足りないものなんてなく、
最初っからあなたは完璧なんです。

完璧な「それ」の上で、
ただ、
もしかしたら完璧ではないのではないか?
と想像しているだけなんです。

なので、その想像上の思いの土台にいる限り、
どこまで行っても、
「これでいいのだろうか?」
の終着点が現れるはずはありません。

あまりにも目の前の現実に対する抵抗感が大きい場合。
トラウマや思い込みにがんじがらめになっている場合。

そういう時は、そこから目をそらす癒しやスピリチュアルのワークが
役に立つ場合があります。

最低限、そのワークの主催者が誠実である場合に限ってですが。

ですが、いずれは、そのワークそのものを捨て去ってしまわない限り、
いつまでたっても終着はおとずれることはないんですよね。

よくね。
こういった成長をらせん階段に例えられる場合があったりします。
同じところに戻ったように見えて、上に向かっているんですよ。

みたいなね。

でも、それもまやかしにしかすぎません。

ただ、ぐるぐると回っていて、その上には終着点は無いんです。

スピリチュアルなワークを修了した後に、アドバンスコースなんかが設けられていたりしますが、
これも、上へと向かっているんですよという幻想の売り物でしかないんですよね。

なので、こういったワークに関しては、
どうしても目の前のがんじがらめがある場合は、利用するのはイイと思いますが、
その後は、そのワーク自体を全部手放してしまうのをおススメします。

これは、今までの現実に戻りましょうという事ではありません。
それだと元の木阿弥でしかありませんからね。

そうじゃなくて、あなた自身で、
確かめてみることです。

ほかの誰かのいう事をそのまんま受け入れたりせずに、
あなた自身で確かめてみるしかないんですよね。

正直なところ誰かが誰かを
「それ」に到達させるなんてことは不可能なんです。

この不可能さは、構造上の問題で不可能なんです。

これって、ナンセンスなんですよね。

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