Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

抑圧されたエネルギーと自我ちゃんからの目覚め01

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おはようございます!
タクさんです。

今日から3回くらいに分けて、
抑圧されたエネルギーと自我からの目覚め
というテーマで書いてみたいと思います。

抑圧されたエネルギーとは、抑え込もうとする事でうまれる反発のエネルギーですね。

心のなかにだれしもがもっている抑圧されたエネルギー。
これが苦の原因となっています。
これはカルマと呼ばれたりすることもありますが、今回は抑圧されたエネルギーと表現することにしておきます。

現象、起こっていることには、本来、正しいも誤りもありません。
そういった判断というのは、本来はないんですよね。

僕らって子供の頃は、判断というフィルターはありませんでした。なのでタンスやふすまにクレヨンで平気で落書きができたわけですね。
でも、そんな事をしたら親に怒られます。
そんな事しちゃダメよ!ってね。
それが判断の始まりです。

こんなことしたら怪我するからダメよー。とか、
我慢しなさい!お兄ちゃんなんだから!とか、
ま、いろいろと、社会のルールを教え込まれていくわけです。
オママゴトのルールみたいなものですね。
こやって社会で生きる術を学んでいくわけです。
これは、本来は役に立つ便利な道具、知識なわけです。
ですがそれがいつしか、道具を使う側だった自分が、逆に道具に使われるようになり、
そのうちに、道具だったはずの者が自分に成り代わってしまうんですよね。

なぜなのか?

ってことなんですが、判断は何かしらの指針があって生まれます。
その指針が、
〜べき
〜べきではない
を生み出すんですね。
そうすると、つねに
これは〜べきなのか?〜べきじゃないのか?
と頭の中でチェックしだすんですよ。

そんでもってですね、そのチェックによって、~べきじゃないという判断が抑圧されたエネルギーを作り出してしまうんです。

そんな判断を繰り返すことにより、つねに自分をチェックするようになってしまうんです。

自分は正しいのか?間違っていないのか?
とね。
それが正しい判断材料を探し続ける探求となります。
そして、つねに正しい自分ではいられないので、そんな時は、罪悪感を生み出します。
そして、正しくない自分というのも同時に作り上げてしまうんですね。
そしてその、正しくない自分というのは、心の奥にしまいこまれてしまうんです。
見たくないからね。

それが抑圧されたエネルギーとして蓄積されるわけです。

また、正しいと判断された行為をしていても、抑圧されたエネルギーは蓄積されてしまいます。

簡単な例でいうと、
ケーキ食いたい!
でも、太るからケーキはダメ、砂糖だって体に悪いし、我慢しておこう。

怒るべきではない!
人には優しい態度で接するべきだ。

みたいな判断ですね。

そうすると、
そこで、判断によって起こった抑圧がちょこっと蓄積されるわけです。

この蓄積されていく抑圧が苦の正体であり、
そして、つねに頭の中で判断して、チェックしたり、罪悪感持ってみたりと、動き回ってしゃべり続けていいる者。
それが自我ちゃんなんです。
そして多くの人は、それを「ワタシ」だと思っているんです。
ほんとは、ただの道具でしかなかったものが、いつしか自分を乗っ取り、「ワタシ」として君臨しているんですね。

続いて、この自我ちゃんからの目覚めと、その時に起こるワナについて書いていきたいと思いますが、今日はちょいと時間切れなので、
その続きは、また明日〜!!!

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