Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何が実在で何が幻想?

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おはこんばんちわ。タクさんです。

んーとですねー。
このブログのような、こういった話をしてるとね。
何が実在で何が幻想なのか?みたいな疑問がわいてくると思うんですよね。

世界は幻想です。あるのは「それ」だけです。
すべて、ただ起こっているだけ。

みたいなことを聞いちゃうと、世界は幻想で、実在は世界じゃなくてどっか自分の内側の奥底にあるんとちゃうんやろか?
みたいなね。
そういう風に思っちゃうと思うんですよね。

でも、幻想っていうのは、世界そのもののことじゃないんですよね。
捉えている事のほうが幻想なんです。

んー。
たとえば、僕は今、ダイエットのためによくゴボウ茶を飲むんですよ。
なんか痩せるらしいのでね。
でも一向に痩せないんですけどね。

さて、このゴボウ茶ってホントは、ゴボウ茶じゃないじゃないですか?
水に、なんか乾燥したゴボウが解け出たもの。
みたいな?
水だって水と呼ばれている何か?ですよね。

そして、ゴボウにしたって水にしたって、最初っからそうなんじゃなくて、
たまたま目の前の水は水の形で目の前にありますけど、
その前は空気として上空にあって、雨になって降りてきて、、、と変化し続けてきた結果、
今、水のようなものとして表れているわけですよね。
で、これを飲んだらもう、僕の身体と一体化してまた変化しているわけで、

ゴボウにしたって、前は種のような形をしていて、土の中にあって、それらが変化に変化を重ねて、今、茶色い液体として目の前にあるわけです。

そうやって、世界は常に変化し続けていて、常に新しいわけです。

それを固定化して、何かとしているのは明らかに幻想ですよね?
便宜上、そう呼び、そう固定化しているわけですが、本来の姿とは違うわけです。

私もあなたも、あれもこれも、何もかも、名前で呼ばれている全てのものも、
ただ、固定化して、何かとしているだけであって、
本来は常に変化し、常に新しく、そして、命そのものなわけです。

固定化している何かの方に意識が同一化してしまっているので見逃されているわけなんです。

「何が実在で何が幻想なんだろう?」
こういった疑問も、何かを固定化しようとする動きなんです。
クセみたいなものですね。

このような固定化をせずにありのままに世界を見てみると、
もう、ありのまましかないやん。
それだけやん。

ってことになるんですよね。

で、それって、当たり前のことやん!
なんで見逃してたんやろう?
こんなに明らかなのに!!!!

って感じなんです。

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