ま、僕はこのブログで、わけの分からんことをつらつらと書いてますが、
悟りとかスピリチュアルとかについて書いてあることについては、その書いてあることをあまり理解しようとか、解明しようとか、そんなことは、しない方がいいと思います。
この解明グセこそが探求のエネルギーですからね。
なので、その衝動がでてきたら、
おっ!今日も元気に探求しようとしとるなー。
てな感じで眺めてやりゃあ良いんです。
そしてほっておく。
探求のエネルギーは、かまってちゃんなので、ほっておかれると行き場を失います。
逆に、かまってやると際限なしに探求を繰り返します。
ほんとは、なんにもわからんのです。
そのわからんの中で、わからんままでいると、自然とそのまんまにリラックスしていきます。
観ている意識も、気づきの意識も必要ありません。
そんなものもほっておくのです。
するとそれらも行き場を失い消えていきます。
するともう「それ」しか残らないんです。
意味のあることは何にもありません。
意味にすがることをやめた時、それはもう、なんとも素晴らしい解放感です。
なんやねん、
今まで何にこだわってきたんだろう。
ここは、こんなに開放感に溢れ自由なのに。
意味がクサリとなり、自由を束縛してきたんやね。
そしてその中で、自由の意味を探し求めていたんやな。
って気づくんです。
ほんとに、次々と現れてくる意味づけとか、思考のウソさときたら。
もう、笑うしかないでー。って感じです。
この湧き上がる思考を相手にするから、
つまり、つまり、いや、でも、
と頭の中で言葉の連鎖を作っちゃうんですね。
文字通り鎖が鎖を呼ぶわけです。
自由を奪う鎖ですね。
そして連鎖がつながればつながるほど、リアル感が増していくわけです。
でも、相手にせずにただそのまんまにしていると、それらの言葉も行き場を失い消えていきます。
そのとき、なんやこのウソ具合は!
と言葉や思考のウソさにもう笑うしかないで!となるんです。