はい!おはようございます!
タクさんです!
今日は、思考についてのお話を書いてみようかなと思います。
思考ってのは、なんていうか実体のない幻想のようなものなんですけど、
どうしてもその幻想にはリアリティがあって巻き込まれちゃうんですよね。
それは、思考がひっきりなしに次から次へと表れることにより、
思考が本当は幻想のようなものであるという事実を覆い隠しているからなんですよね。
さて、この思考というのは何で構成されているのか?
といいますと、それは言葉なんです。
つまり、思考っていうのは、言葉なんです。
頭の中で言葉を作り出し、そしてその言葉を反芻して、また言葉を作り出す。
それが一連の思考の流れです。
言葉を頭の中で読んでいるわけですからまさに物語を読んでいるのと同じですね。
では、この思考を構成している言葉というのはなんでしょう?
といいますと、言葉っていうのは意味のない音なんですよね。
本来は。
つまり、思考とは、意味のない音に意味づけをして、それらをひっきりなしにつなげることによって物語を生み出している。
ということです。
なので、思考を止めるには、言葉をシャットアウトしてやりゃいいんです。
人は言葉に対して何故か重要視しているというか、その物以上の意味づけをしているようなところがあるんですよね。
ある種言葉への信仰みたいなものです。
とくに日本人は言葉のパワーを言霊とか言ったりしますしね。
この言葉が人生を作り出すということに、ある種のおそれすら感じたりするんですよね。
言葉=思考ですし、
思考=物語です。
そして、その物語=人生。
というわけですから、
言葉が人生を作るのはそりゃそうだ!ということなんですが、
この人生ってのも、実際は無いんだけどあるように見えてる物語なんですよね。
言葉でのがただの音であるということを見抜いていれば必要以上に思考に翻弄されなくて済みます。
もともと言葉はただのツールであり、便宜上使う道具なんです。
思考に巻き込まれ、それから逃れられないというのは、本来使うためにあった道具に逆に支配されているようなものなんですよね。
道具にリアリティを付け加えて、力のあるものだとすることによって、逆支配がうまれちゃってるんです。
言葉で語られるもの、それはすべて物語です。
言葉以前のそのまんまこそが、真実なんです。
思考で判断するクセは、言葉で判断・理解するクセと同じ意味です。
ですが、この言葉以前のただの音。そこが真実なんです。
思考のおしゃべりが気になった時は、一度、言葉をそのままわきに置いておき、リラックスしてみると良いかもしれませんよ。