Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

気づきについて

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普段、あまりにも思考に同一化してしまっている時、

その思考と距離をおくことで、
ああ、この思考は起こっていただけだったんだ。
自分というのは概念みたいなものなのかもしれない。
と、思考をただそのまま観察することが出来ます。
この気づきが起こった時、大きな癒しも感じることがあります。

こういった癒しは、瞑想などで到達することが良くあります。
瞑想だけじゃなく、思考と距離を置く方法は、様々なやり方があります。

ただ、この気づきが悟り、解放と呼ばれているものなのかというとそうではありません。

まだ、そこには気づく者と気づかれる思考というものがあるからです。
この分離が残ってるんです。

この気づきという分離が落ちた時。
気付いている自分がおち、全てだけが残ります。

その全ては、距離を置いていた自分も起こっている思考も全てを含む全てが、そのまんま、距離もなく、そこにあるんです。
ダイレクトにあります。
このダイレクトさが、そのまんま、ただ、起こっているという表現が指し示すところです。

でも、癒しとしての一環で考えない練習をするといった方法は大いに役立つ部分もあると思います。

ただ、気づいている自分という状態にこだわりすぎると、
常にその状態にありたい。
落ち着かなく、不安で、気づいている状態にない自分は良くない自分。
落ち着いてリラックスしていて気づいている状態の自分は良い自分。

と分離の中で、そういった判断に巻き込まれてしまったりします。

すると、どんどん、瞑想とか気づいている状態へのこだわりが強くなってくるんです。

その気づいている状態ってのも、ただのオママゴトであり、分離の中の物語なんです。

この辺が良く誤解されて、修行にハマったり、スピリチュアルの教えにハマったりしがちなんですよね。

と、注意を促した上で、考えない練習とかが書かれてるの本をご紹介しておきます。

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