Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

輪廻(りんね)と三昧(ざんまい)について

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輪廻とはループバグのことであり、 三昧とは、「無」のことです。

ループバグというのは、頭の中で思考がぐるぐると回っておることです。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

ってな言葉があるじゃないですか?
どこかのエライ哲学者さんの言葉らしいんですけどね。

ここでいう心というのは、思考、記憶と感情の総称のようなものです。

なので、思考や感情がぐるぐるとループしていたら、運命・人生もぐるぐると回っているように感じるんですよね。

ただ、重要なことは、そう感じているだけだということです。

それにリアリティが含まれれば、含まれるほど、深刻さが増していくんですよね。

そして、深刻さが増すほど、収縮した感覚が増していき絡め取られたような感覚になります。

この収縮的な感じってのが、分離のエネルギーなんですね。

そして、三昧というのは無ということです。

よく、三昧というのは目の前の事になりきる事だ。
みたいな言い方されるじゃないですか?

でも、その表現だとちょっと不十分で、

なりきるも何も、もともとその、目の前の事しかないんですね。

そこに、「自分」という概念をくっつけて、自分が行為しておると誤解しているだけなんです。

なので、その自分はもともといないわけです。

それが三昧だというわけですね。

だから、三昧をやろう!目の前の事になり切ろう!とするのはちょっとナンセンスなんですよね。

 

・・・

じゃあ、すしざんまいってのは、 すしがないのか?
それとも、すししかないから、それがもう全てであり、空気のような状態となって、 無いと同意になるという事なのか?

まあ、それは置いておいて、

全てがあるというのは、
全てだけがあるとなり、
全てしかないとなり、

それは、何も無いと同じになるんですよね。
全ての中では、あると無いという選択じたいが存在し得ないからです。

だから、あるでも無いでもなく
起こっていて起こって無いんです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます!!!
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