Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りの体験をしたものの、どうもしっくりきてないと感じてるあなたへ

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いわゆる悟りの体験意識のシフト、気づきとかいうものを体験した人も多いと思います。

そして、その体験が起こす誤解にハマっちゃうことも結構あるんじゃ無いかな〜って思うんです。

こういう体験の後についての情報って結構少ないんですよね。

悟後の修行とかいうツッコミどころ満載の言葉もあるくらいです。

なので、この体験により起こる誤解について今日は書いてみよっかなーと思います。

こういった体験というのは、何が起こっているのかというと、

荷物を降ろした衝撃が起こっているんです。

何も無い。何も知ら無い。 という大元の地平線。

オママゴトをしていない、素の状態。

そこにある自由な感じを自我が、この感覚に対して説明を加えようとしているんです。

 

ぼくらは赤ちゃんの時は、何も知らず手ぶらの状態です。

そして、最初は手ぶらだったところに、荷物を少しづつ増やしていくんですね。

この荷物は知識や思考パターン、記憶といった類のものです。

そんでもって、いつのまにやら大きな荷物になっていくんです。

でもそれは少しづつ増やしていったので、荷物を荷物と感じていないんです。

この荷物を降ろすことは、本来の手ぶらの状態に戻るだけですので、ホントは変化なんてないわけですが、この荷物を降ろした瞬間の軽さが体験の衝撃として現れるのです。

つまり、本来の何も無い状態、大元の存在の衝撃ではなく、副作用的におこるものなんですね。その体験が起こったということです。

その体験の衝撃は、大元の存在が持っている衝撃ではなく、

その存在の上で荷物を降ろした自我ちゃんが感じた衝撃なわけです。

何が言いたいかというと、

悟りだとか大元の存在がその衝撃的なエネルギーを持っているわけじゃないんだよ。

ということです。

存在では、何も起こっていません。

その存在の上で

うほっ!荷物下ろしたらメッチャ衝撃的やでー! って、
自我ちゃんがやっているということなんです。

つまり、その体験もオママゴトのひとつであり、 一人相撲のたぐいなんですね。

オママゴトの設定に新たなオママゴトルールを加えていくのが
オママゴトをよりリアルにより大きくしていく事となるのと同様に、

この体験を悟りの体験と設定して、それに悟後の修行をしていくという設定を加えるということは、さらにオママゴトを発展させているということと同様なんですよね。

しかもこういった体験は、自我を高揚させます。

そしてぼくらは、高揚感を幸せと誤解しがちです。

これや!これが至福なんやー! ってね。

高揚感は、いわゆる存在の至福とは違います。

高揚は不安と同じような心の動きです。

なので体験はとっとと手放した方が良いんです。

あ、体験の後について書かれてる本を紹介しておきます。 

 

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高揚感を幸せと誤解のについては、こちらの記事でも紹介しています。

takuteto.hatenablog.com