Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りの体験の正体

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一瞥体験、
意識のシフト、
気づき、
悟りの体験。

これがいわゆるこの道のゴールということでは、もちろんありません。

っていうか、ゴールというものは存在しません。

じゃあ、悟りに悟りを重ねていくのか?

というと、そういうことでもなく、

これを定着させていったらええんちゃうんか?

ということでもありません。

そして、これらの体験は、
悟りに近づいているということでもありません。

これらも分離というオママゴトの中で起こっている事ににすぎません。

これらの体験はどういうものかというと、

何もない、全ての存在について、
自我ちゃんが説明や判断、ジャッジを加えているという現象です。

自我ちゃんの理由付けはとってもリアリティのあるものなので、目の前の現象がリアルであるのと同じくらい、悟りの体験というものもリアルに感じられると思います。

あなたが体験をしたのではなく、体験が落ちたんです。

その時に、ただ存在が残ったんです。

そして、そのことについて後付けで自我ちゃんが説明を加えているのです。

なので、こういった体験は気にせずにとっとと忘れた方がいいんですよね。

これに囚われるのを魔境だとか言ってる輩もいますが、気にする必要はありません。

魔境なんてものも存在しません。

ただ、体験が落ちた(解放)を、自我が再度体験としているんですね。
なので、こういった悟り体験を重ねていくことによって定着していくということでもありません。

自我ちゃんは相変わらず色々な物語、原因と結果、因果を作り出します。

そういった自我もただ自然に起こっている現象なんです。

形を変えながら空に漂う雲があなたではないのと同様に、自我ちゃんもあなたではないんです。

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