自分という何かをコントロールしているものはいない。
そういった言葉を聞くと、まるで、それに気づいた人は心や感情を失い、無味乾燥的な人になるんじゃ無いか?
また、無責任で、腹立たしいほどに楽観的で、行き当たりバッタリな人になるんじゃないか?
みたいに思ったりするかもしれません。
これも、オママゴトの物語の中だけで起こる誤解です。
確かに行為者はいないし、自分という存在も無いわけですが、
その事があらゆる感情や心を無くしてしまうという事では無いんです。
こういった感情や心は全てであるそれの表現として現れています。
そこに後付けで自分という概念で縛ってしまうのがおままごとなんです。
自由に、そのままに、全てが、ありのままで起こってます。
概念で縛らない限り、あらゆることは、そのまま、生の感覚でダイレクトです!
失いようがありません。
むしろ、範囲を狭めているのは、自我という概念の方であると言えます。
ダイレクトであるかどうか?
それだけです。
そしてそのダイレクトさは、失いようがありません。
何故ならそれは、ダイレクトだからであり、それそのものだからです。
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