【はじめに】
ほい。
おはようございます。
運動会で初めて一等賞をとったのは
ウナギつかみ競争のタクさんです。
ウナギつかみ競争ってねー。
今はあまり馴染みがないのかもしれませんけどね。
走って、たらいに入ったウナギをつかんでゴールする。
っていうシンプルな競技なんです。
僕はこの競争に出る前にちゃんとシミュレーションをしたんですよね。
「ウナギをつかんだことはないけど、きっとウナギは体を掴んだらヌルヌルして滑ってしまうだろうけど、親指と人差し指で頭の部分をしっかり掴めば行けるはず!」
と睨んだんですよね。
大人も混じっての競争だったので、子供だった僕はきっと足では負ける。
でも、一発でウナギを掴むことができたなら、足が遅い僕でも勝機ありっ!
と思ったわけです。
このシミュレーションがバシッと当たって、一等賞ですよ!(ドヤッ)
最近はウナギも高くなっちゃいましたので、ウナギ掴み競争ってのもあまりないのかもしれませんね。
僕が子供の頃は、今よりももっとウナギが安く出回ってたような気がします。
家でもたまに食卓に出てましたからねー。
そういえば、僕も最近は食べてないです。
【自己評価が世界を決める】
まー、子供の頃の思い出って結構あなどれないですよね。
僕もウナギ掴み競争のことは鮮明に覚えてますもん。
特に子供って、心がまっさらですのでね。
いろんなものを受け入れやすかったりするんでしょうねー。
でね。この受け入れるものというのがいわゆる観念なんです。
そして、心に蓄えられていった観念を通して僕らはこの世界を見るわけです。
だから、心を豊かにする情操教育が大事にされているんでしょうねー。
でね。
実際にはいない「私」というものも、この心の中に鎮座しております。
いないので、実体はないんですけどね。
ただ、心を通して世界を見る場合には必ず「私」という観念を通すんですよね。
そして、この「私」によって見る世界が変わってくるんです。
つまるところ「私」に対する評価。
この自己評価によって見えてくる世界が変わってくるというわけです。
もちろん。
生きやすいのはこの自己評価が高い場合になります。
そして、自己評価が低いと色々と不安な思いに駆られやすくなるんですよね。
【知ることのワナもある】
でね。
普通この自己評価を高めるためには、できる自分になろうとするじゃないですか。
だから、練習したりスキルをマスターしたりと自己研鑽をするわけですもんね。
そして、この練習したりスキルマスターをする過程で、
そのことが好きである。
そのことが楽しい。
と思っている方が俄然有利になるわけです。
好きでもないものを練習するのってとっても苦痛ですからねー。
ただ、そうやってできる自分になればなるほど、余計にできない自分を発見してしまう。
なーんていうね。
そんな心の錯覚もあるんですよね。
実際はできるようになっているから、良いはずなんですけどね。
でもその世界を知れば知るほど、知らないこと、できていないことも見えてきちゃう。
そんな錯覚があるんですよねー。
【比較のワナと変化の恐怖のしくみ】
この錯覚が、いわゆる比較という観念によって起こるワナなんです。
心の中の自分を比較という概念に当てはめてしまうことで出てくる錯覚なんですねー。
それで、余計に自己評価を落としてしまうパターンもあれば、
そこそこの自己評価で止まってしまう。
なーんてパターンもあるのかもしれませんね。
まあ、それでも、それなりに生きてきて、そうやって大人になっていくと、
今度は変化の恐怖というものも訪れたりするんです。
すると、変わりたいけど変われない。
みたいなね。
そんな錯覚にも陥ったりするんですよね。
なぜ、変化を怖がるのか?というと、心は今の安全を最優先にするからなんです。
心の最重要事項は「死なないこと」なんです。
これは本能的な働きなんですが、この防衛反応が心の中の自分に働いちゃうんですよね。
すると、ここに心の壁ができてしまって変化を怖がってしまうんです。
ま、こういった仕組みって、「じゃあどうすれば良いの?」ってね。
対応策をどうしても考えがちなんですけどね。
でも、別にどうもしなくても良くて、単にそういうことになっているということを、
知ることだけで良いんですよね。
そして、自分で確かめてみるんです。
「あ、確かに私の心は変化を怖がっているっぽいなぁ。これも錯覚なんだー。」
みたいな感じでね。
でもよくよく考えてみると、ここさえ防御すれば大丈夫そうだな。
ってね。勝手に色々と解決策を思考は練ってくれますのでね。
お任せしておけば良いんですよねー。
すると、自然に心の壁は溶けていくんです。
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