Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自然に触れよう!

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【はじめに】

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

皆さん初めて読んだマンガはなんですか?
ぼくは学校の図書館にあった「はだしのゲン」という原爆がテーマとなっているマンガが初めて読んだマンガでございます。

ほほう。
こうやって基本的には右から左のコマに進みながら絵を見ていくんだな!
これを説明もなしに自然に誘導していくってすげーな!

ってねー。
マンガの仕組みの方に最初は驚き、夢中になったのを覚えております。

子供の頃って、大人になったらなんになる?の答えがコロコロと変わるもんですが、
僕もコロコロと変わったのですが、その一つに漫画家になりたいっ!という時期もありまして、それは、この漫画のシステムに感心したからという理由です。

ちなみに、初めて声を出して笑ったマンガは「オヨネコぶーにゃん」というマンガです。
最初は「しあわせさん」という題名でした。

最近ははだしのゲンが残虐だから?なのか、そんな理由で小中学生に読ませるな!
みたいな論もあるそうですが、個人的にはそんなの全然平気でしたけどねー。

というわけで、今日は雑談ってことで、自然についてダラダラっと書いてみたいと思います。

 

【裸足であるく】

はだしのゲンの話は置いておいておきましてね。
たまに裸足で歩いてみるのって、気持ちいいですよね。
僕もたまにやってます。

別に、アースがどうのこうのとか、気の流れがどうのこうのとか、
そういうことを言うつもりは一切ないんですけどね。

ただただ、手で触れるのと同じように、足で直に土を感じるのって、
シンプルに気持ちいいもんです。

僕は木々を見ているのが好きでして、木に触るのも好きです。
やっぱり気持ちいいですよね。

やっぱりねー。
自然の感触って、言葉にはならないダイレクトさがあると思うんですよねー。

【人工物とは加工である】

僕ら人間って、いろんなものを作ってるじゃないですか。
それらは全て、人工物と呼ばれておりますよね。

ただ、これらの人工物って、どれもゼロから作ったものじゃなく、
形を変えただけなんですよね。

元々あるものを混ぜたとか、焼いたとか、そういう類でね。
意図を持って、加工したものなんです。

人はゼロからものを作ることはできないんですよね。

やれるのは、加工であって、
それは、自然のものをちょっと不自然な形にバシッって固める!
といった感じでしょうか?

鉄だって、本来は酸化して錆びている状態というのが自然な形ですよね。
鉄鉱石だって、茶色いサビの塊ですもんね。
あれは酸化鉄なわけですが、鉄にとってはこれが自然な状態なんです。

ここから、酸素を抜き出したものが僕らが使っている鉄です。
だから、酸素に触れると錆びてくるというわけでして、
ずーっと放っておくと自然の形に戻っていくわけですね。

ま、つまり僕らはゼロからは何も作れないけど、加工をして手を加えることでいろんなものを作った気になっている。
といった感じでしょうか。

【自然が観念を取り払ってくれる論】

でね。
ここからは、僕の勝手な論なんですが、
僕らはこうやって、人が加工したものに囲まれていると、
その加工の際に込められた意図というものにも触れてしまうわけです。
そして、この意図というものは、意味づけであり、それらの奥には概念や観念がどうしても入り込んでおります。

僕らは、何を見るにも、この概念や観念にさらされ続けているんです。

概念や観念っていうのは、形のないお化けのようなものですが、
この概念や観念とは、思考の元となっておりますので、ずっと思考にさらされているんです。

そして、常に僕らは、何かを考えておかなきゃならないっていうクセを強く持っていて、考えている間は、やっぱり微妙に力が必要となりますので、
常に若干の緊張をしているといった状態になってるんじゃないか?
なーんて思うんですよね。

では、なぜ自然に触れると解放感を感じるのか?
と言いますと、自然の意図のなさが僕らを概念や観念から解き放ってくれるからではないか?
なーんてね。
ま、仮説ですが、そんな気がしたりします。

【力を抜いてみましょう】

まーねー。
極まってくると、人工物もまた、意図というイメージを採用せずにいると、大自然そのものじゃんって感じられたりもするんですけどね。

なので、たまには観念や概念などから自分を解き放って、緊張の糸をほぐしてみるのもいいんじゃないかなーって思います。
目を閉じて、瞑想してみるっていうのも良いですね。

僕も長年瞑想をしておりまして、昔は毎日数時間やっていたこともあります。
最近はわざわざ座ってやるというのは少なくなりましたが、普通にしてても瞑想の感覚に浸ることはできます。

ただ、瞑想に意図をつけちゃうと、これまた変なことになっちゃいますのでねー。
瞑想はするではなく、していることを一旦おいておいてみるということ、フォーカスを解いてみるっていう感じで良いんじゃないかなって思います。

瞑想に何かの力があるわけじゃなく、力を抜くって感じですね。
習ったりマスターしようとするものでもないんですが、慣れる練習はあるかもしれませんね。

そうすると、今まで聞こえてこなかった体の音や気づかなかった音なんかも発見できて、どんどんと自分が溶けていって自然と一体化していき、気持ちが良いものです。

たまには意図のない自然に触れるも良し!目を閉じてリラックスしてみるも良し!
ってことですね。

というわけで、今日はなんだか取り留めのない雑談になっちゃいましたが、
また明日、お会いしましょー!

 

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