Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考と分離の話

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【はじめに】

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ドラえもんの声が変わってもう15年以上もたつんですね。
これはえらいことです。

もうドラえもんの声が慣れないわ〜。
とか言ってる場合じゃないですね。

頻繁に見なくなってるから仕方ないんですけどねー。

ま、今日はドラえもんの話ではなくてね。

私はこう考えたりこう感じたりしていて、
他の人は他の人で、また違うことを考えたりしている。

これって、私はいないにはならないよねぇ?

という疑問について書いてみたいと思います。

 

【ウソとホントは思考の中にしかない】

それはそれで、別に間違ってないんです。
思考で突き詰めると、確かにそうなるよねー。
って話ですからねー。

何が真実なのか?を思考で突き詰めようとして、
ありとあらゆることを疑ってみるとしたら、
最後に、全てを疑っている自意識が残った!

つまり私がいる。これだけは疑いようのない真実だー!
ってねー。

「我思う、ゆえに我あり」

みたいな哲学的な言い方もありますからねー。

ただ、これらって、全部思考であって、
思考の中で真実だろうが嘘だろうが、同じ思考である限り、
そこに差というものはないんです。

【思考には実体がない】

どんなに真実っぽいような思考も、
ただの妄想も、同じ思考であり、
これらの思考に実体はないんです。

ドラえもん的にいうと、
「空を自由に飛びたいなぁ〜」
っていう妄想も、

全てを疑っている自意識だけは否定できないから、
「私は存在する」
という思考も、

同じ働きだよね。

っていうことなんですよねー。

【翻訳された世界】

僕らは何かを見るときに、すぐに思考を通した解釈に翻訳してしまいます。
この文字を見たって、すぐに文字だと認識しちゃいますよね。

そして、解釈や認識は必ず意味があり、
その意味には、善悪や好き嫌いや正誤がひっついてくるんです。

この善悪や好き嫌いや正誤によって、僕らはより良い方の側に行こうともがくわけですが、
これらは全部、翻訳された世界であり、それってあるがままの世界とは違ってしまっているんですよねー。

翻訳されたものが間違っているというよりは、それらの翻訳は、ものの一辺にフォーカスしすぎてしまっているということでもあるので、全体が見失われているんです。

【思考と言葉】

思考というのは言葉と共に働きます。
翻訳というからには、言葉が当てはめられるというわけです。
この言葉というものは、物事の一辺にをひろいあげ、そこに意味をつけたものです。
そして、一辺を拾い上げられた時点で、分離が起こるわけですね。

もちろん実際には起こっていないんです。

なんでもない中に、意味としての分離を加えるわけです。

砂の中のダイヤモンド。
みたいな感じでね。

ダイヤモンドと砂という言葉が付け加えられた時点ですぐにそれらは分離をするわけです。

そして、ダイヤモンドの方が価値があると言ったような意味が付け加えられるんです。

この価値というものは、その時の時代風景によって変わっていくんですよねー。

まーつまりね。
この分離によって翻訳された意味によって、あまり自分を責めなくていいよ。
っていうことなんですよね。
人の苦しみというものも、大体は自分をそうやって責めることによって起こっていたりしますからね。
これらは比較の概念が生み出した幻想のようなものなんです。

 

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