Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【才能の正体】みんなバカなんだから、バカを愛しちゃおう!

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

いやー。ビジネス系の本なんかをみていると、いかに能力アップするか?
みたいな内容って多いですよねー。

まるで能力がないとふるい落とされてしまう。
なんかそんな脅迫観念も感じたりします。

あとやたら、こんなやつはバカ!みたいな言葉も目につきます。
こういうバカとは付き合うな!的なやつね。

なんか、僕はこういう表現はちょっと苦手なんですが、
関西風に言う
「おまえはアホやな〜」
という褒め言葉は大好きです。

ま、これって言ってる人もバカなんですよね。
そして、人間なんてみーんなバカなんです。

このバカさこそが生きる上での楽しみであり、美味しいところでもあるんですよね。

 

みんなバカなんだから、バカを愛しちゃおう!

自分のバカさを愛してあげること。これが人生を美味しくいただくコツでもあるんです。

バカの中でも、自分のバカさを知ってる人は、無知の知を獲得できておりますので、
心は平安になれますし、自分のバカさを知ってる人は他人のバカさにも寛容になれます。
自分のバカさを可愛く思えてきますし、そうなると他人のバカさもまた可愛くなってきますからね。

こんなバカさを惜しげもなく披露してきたか!やられた!
とさえ感じちゃったりします。

無知に陥るワナ

逆に、自分のバカさを知らない人は、自分の中に必ず隠れているバカに絶望したり、
自分の中のバカを許せなくなったりするわけですねー。

そして、バカが嫌だー!って思えば思うほど、比較の概念にとらわれていっちゃうんです。

そして、ますます「かしこ」へのこだわりが強くなっていき、
自分のバカさが許せなければ許せないほどに、人のバカさもまた許せなくなっていき、
能力という幻想に支配されてしまう。
みたいなことになっちゃうんですよね。

こんな自分のバカさが許せないっていう思いってね。
実は意外なことからきているかもしれないんです。
それが「褒められること」なんです。

褒められたらそれを殺せ!

禅の教え、たしか臨済さんだったと思いますが、
その教えの中に、
瞑想中に、もし、仏陀や如来が現れたときは突き刺してしまえ!
そして、仏見たなら仏を殺せ!
みたいな教えがあるんですけどね。

これは、瞑想中にみるいわゆる神秘体験の幻想にハマらないための戒めだったりするんですが、他人の褒め言葉にも、同じことが言えるかもしれませんね。

だれかから、
「期待しているよ!」
「よくやってくれたね!」
みたいに褒められちゃうと、やっぱり嬉しいものだったりするもんですが、
今後もより良くなろう!って思っちゃうと、途端に比較の概念にハマったりしますので、要注意です。

ブラック企業なんかでも、成績の良かった人をものすごーく褒めて、成績の悪い人に対して徹底的にいじめ抜く!
みたいな手法がありますが、あれも支配する側にとって都合の良い比較の概念に人を植え付ける行為ですからね。

ある種のワナみたいなものです。

アメとムチで特に要注意なのはアメなんですよね。

才能の正体

そもそも、才能や能力なんてものは比較によって成り立つものじゃーありません。
才能とは、面倒に思ったり、時に辛く感じることもあり、
そして、飽きることもあるけれども、
それでも続けることができるもの。

なんか、だるいなーとは思うけれども、やっぱり続けちゃう。
ここにあるんだと思います。

別に人と比べた時の特別な能力ではないんです。
もちろんやり続けちゃうからそれもついてくることがあるんですが、それはオマケのようなもので、やっぱり自分が好きで続けちゃうこと。

ここに才能の正体があるんです。

好きなこと、オモロイことというのは、決してずっとテンション上がりっぱなしで楽しいこと!
と言うわけではありませんが、楽しいこともあり、ツライこともあるけど、
自発的についつい続けちゃうことにあるんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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