Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無自覚に走り続ける苦しみ

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。

マラソン大会が悪夢のように嫌いだったタクさんです。
みなさん。
素敵なマラソンライフをお過ごしでしょうか?

いやー、ランニングブームなんですかねー。
うちの近所の公園でも、みんなせっせと走ってはりまして、
もう頭が下がります。

僕はここ数年走っておりませんが、子供の頃からマラソンは嫌いでしてねー。
好きで走ってる人ってすごいなーと思います。

あーゆうすごい人たちは、横っ腹が痛くならないんですかねー?
僕は毎回、横っ腹が痛くなって走れなくなるんですが、、、。

ちなみに、以前、電車に遅れないように駅前で走ったことがありますが、
久しぶりに走るとやばいですね。
息が苦しくて、死ぬかと思いました。

ま、ウォーキングは好きなので、なんとかウォーキングで運動不足解消をやっていきたいと思います。

 

もし、無自覚に走っているのだとしたら

さてさて、
もしもの話なんですけどね。
もし、僕らが無自覚で走っているのだとしたらどうでしょう?
って話なんですけどねー。

これ、ちょっとホラーですよね。

走っていることに気づかないけど、どうにも体はしんどいし、
息をするのもしんどい。
心臓もドクドクなってるけど、何故こんなにしんどいのかわからない。
ってことになるんですよね。

そして、どうしたらいいんだろう?
何をすればいいんだろう?

って悩むわけですが、どうしたらいいのかわからない。

そのうち、もう何かをする元気すらなくなってしまいます。

だって、走ってるんですからねー。気付いてないだけで。

まさに、僕らが、いろんな思いに対して不安に感じたり恐怖を感じたりするのも、
これと似ていてね。
無自覚に走っている状態と言えるかもしれません。

僕らは不安や恐怖が襲いかかってきているように感じていたりするんですが、
実は、自分でせっせとやっているかもしれないんですよね。

何にもしないがないと、何をしているのかわからない

ただ、在ってみる。
いま、ここでただリラックスしてみる。

っていうことをここでも良く言っていますが、
まー、これって、まずは何にもしないをやってみないことには、
何をしているのか?がわからないからでもあるんですよねー。

心の苦しみは、何にもしなきゃ起こりません。
何かをしている間だけ、その苦しみがあるように見えているんです。

走るのをやめてみて、はじめて走っていたことに気づくんです。
立ち止まってみて、はじめて、
「景色って走っている間だけ動いているんだー!」
みたいなことに、気づくんです。

原因追求は必要ない

今、何をしているのか?
これは、ただ、何をしているのかを確かめるだけでいいんです。
っていうか、確かめる以上のことはやらないようにしなきゃ、
結局、何かをしているということになっちゃうので、
ふりだしに戻ってしまうんですよね。

ついつい、僕らがやりがちなのは、
私がこういう思いに悩むのは、きっとあの時のこれが原因だ!
みたいな分析です。
そして、いろいろと原因を追求しだして、
中には、「あの時の」が高じて、もう前世が原因になっちゃったりもして、
もうキリがありません。

そして、あの時は戻ってこないから、やっぱりどうすることもできないー!
ってね。
またあれこれと思いのストーリーを紡ぎ続けたりするわけなんですけどねー。

これだとまた、走り続けているのと同じなんですね。

あ、そうか。走ってたからしんどかったんだ!
ってことをね。
ただ、知るだけでいいんです。
それ以上は必要ないですし、何かを解決しようとしなくてもいいんです。
それはまた、別の話であり、些末なはなしなんです。

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