Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「自分はどうせこんなもの」という錯覚

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はじめに

はーい。
おはよーございます!

中年の危機といわれる年代、まっしぐらのタクさんです。

まー僕ら中年の世代といいますのはねー。
まだまだ社会は年功序列が残っている頃に仕事をし始め、
そろそろ、ワシがいい立場になれる頃かな?
という時に梯子をおろされる。

みたいなねー。
そんな世代でもあったりして、
やるせないぜー!
なんて感じてる方もおられるかもしれません。

しかも、ちょうど社会に出る頃にはバブル崩壊!不景気に突入!って感じの方も多いですからねー。

話は変わりますが、ファミコンが大流行したのもちょうど僕らの世代なんですが、今の若い子にファミコンの話をするのは、
ちょうどファミコンが発売された時の僕らに、太平洋戦争の話をするのと同じだ!
みたいな話をネットで見たんですが、

たしかに、ファミコンが発売されたのは40年くらい前だから、
さらに40年前だと、太平洋戦争真っ只中!って感じですもんねー。

ひゃー!
おそろしい!

ちなみに、当時、僕は、ファミコンのベースボールというゲームがやりたくてやりたくてしょうがなかったんですが、
父親が間違って「野球盤」というボードゲームを買ってきて、やや引きつった笑顔で喜んだふりをしたことをよく覚えております。

(子供は結構、気をつかっていたりするもんです。)

 

中年の危機

ま、それはそうと、中年の危機ですよ。
いわゆる人生の大きな変化が起こるのもだいたいこの辺らしいです。
そんな時に、価値観というものを変えなきゃならない場面にもでくわしちゃうんですよね。

まー、身体も徐々にガタがきますし、
仕事でも20数年やってきて、だいたいこのくらいだとしたら、もう先も見えてきたなー。
って感じたりしますし、

そんなこんなで、
「思ってたんとちがうー!」
と思ったり、
願いを叶えてきたけど、
「え?こんなもんなん?」
って思ったりするわけですねー。

そこで、
あらゆることに無感動になったり、
自分には何かが足りないという思いにさいなまれたりするわけです。

ちなみに僕もいわゆる真理の探究というものに思いっきりハマったのは、
人生終わったー!ってとことん感じたのがきっかけでしたのでねー。

ま、人間生きてりゃ、いわゆる価値観の崩壊みたいなものが起こってくるんでしょうねー。

自分はどうせこんなもの

価値観の崩壊とは、自分に対しての価値観が崩壊するということなわけですが、

失敗したら、自分はダメだー!ってなるのはわかるけど、
成功しても、えー!?こんなもん?ってむなしくなるってのは、
どうにも逃げ場がないじゃないかー!
って感じですよねー。

ただ、ここで勘違いしちゃダメなのは、
「自分はどうせこんなもの」
ではないということです。

どうせこんなもの。
思ってたよりもつまらなかったものは、
「自分」ではなくて、抱いていた「価値観」なんですよね。

その価値観を自分に当てはめていたから、「自分はどうせこんなもの」という勘違いをしておるだけなんです。

そもそも、枠というものは、全てを入れることはできません。
大河の水をコップいっぱい汲もうが、バケツいっぱい汲もうが、
大河からみたら、ほんの一滴にすぎません。

そんな枠に全てを当てはめるから、全てが虚しく感じられるのも当然です。

あー、こういう枠に当てはめたなら、そりゃー、この枠の限界はこんなもんだよね。
となるのは当然ですもんね。

その枠を自分に当てはめてたから、自分の限界はこうなっていると感じたんだねー。
ってね。
確かめてみると、そりゃそーだ!ってなると思うんです。

そもそも、比較も枠も概念です。概念は使って遊ぶものであり、そもそも何かを縛れるものではないんです。

 

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