Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【不安から即解放】ストーリーの深刻さと体の緊張感の関係性を知る

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はじめに

ほいっ!
どーもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
いかがお過ごしでしょうか?

まー僕はやっと、引っ越しも終わって、段ボールの整理が大体できたかなーって感じですかねー。
いろいろな買い物もひと段落って感じです。
最近買ったものでお気に入りは昇降デスクですかね。

これで、在宅ワークも滞る!ってなもんです。
まだ、ネット回線の工事が終わってないのですが、
これが終わったなら、またセッションも復活したいな〜と思っております。
その際はどうぞよろしくお願いしますです。

さてさて、
僕らってね。
最近どう?って聞かれると、やっぱり最初に思いつくのは、
最近、繰り返し思考の中で繰り返していること。
これを思い出すと思うんですよね。

そして、それがない場合は、
「うーん。ま、いつも通りかなー。」とか
「うん、良い感じだよー!」

ってな答えになると思うんです。

でね。
思考の中で繰り返されるストーリーというのは、
大概が、不安なことや悩み事だったりするんですよねー。

思考はうまくいっていることを反芻してはくれません。
それはもうどうでも良いことの引き出しに仕舞い込まれてしまっております。

だから、うまくいっていないことの方を優先して考えちゃうんです。

ただね。
思考の働きは自分ではありませんからねー。
それほど、思考の働きに深刻にならなくても良いんですよね。

 

思考の働きは自分ではない

もし、思考の働きが自分なんだとしたら、悩みなんてものは起きません。
だって、考え方も考えたいことも自分で決められるはずですからね。

そうじゃないのなら、それはもう自分とは違うものなんですよね。
窓の外の天気と一緒です。
だから、思考の働きで悩む必要性なんてないんですよね。

「今日は雨かー!なんで俺は今日を晴れにできなかったんだろう?」
って悩まないじゃないですか。
そんなん無意味なんですよ。

ま、多少困ることは在るかもしれませんけどね。そりゃ、しゃーないんです。

思考は自分じゃないんです。
だから、思考の悩みに付き合わなくても良いんですよね。
ま、これは身体もそうなんですけどね。

思考が反芻される時

僕らが悩んだりしている時っていうのは、
同じストーリーがずーっと反芻されている時なんです。

リピートされているんです。
同じストーリーがねー。
そういう時に悩みは加速するわけなんです。

では、どういうストーリーが反芻されるのか?
というと、それは答えが見つからないものに対して反芻されるんです。

しかも、深刻であればあるほど、思考はそれを優先します。

深刻さの感覚は何によって起こるのか?

でね。深刻さという感覚は、何に担保されているのか?というと、
体の緊張感によって担保されているんですよねー。

温泉でゆーったりリラックスしながら深刻なことって考えられないんです。

体が緊張することによって、思考は深刻さを演出し、
そして、演出された深刻さによって、体は緊張する。

このラリーが続くことで、思考はずーっと反芻されるわけなんです。

だから、答えがあるとこのラリーは止まります。
また、身体がリラックスしても、ラリーは止まるんです。

答えがあるとうまくラリーが続かないので、わからないことが深刻なストーリーのラリーを続ける条件になりますし、
体もまた、緊張感を持ってないとラリーが続かないわけですのでねー。

ストーリーのスルー癖をつける

でね。変な話、思考はつじつまが合わないことは受け入れられないんですよ。
だから、体に緊張感があるなら、ちゃんとそれに思考のストーリーも沿わなきゃだめなので、その緊張感に見合うストーリーを作り出すんですよね。
理屈として、ものすごく荒唐無稽なストーリーでも、つじつまが会うことを優先するんです。
そして、そのストーリーを自分が聞くことで、ちゃんと体の緊張感が演出されて、
「ほらね!正しいよね!やっぱり深刻だよね!」
って再認識をして納得するわけです。

これはもう、お節介おばちゃんに取り憑かれているようなものです。

だからねー。
ちょっとバシッと一回いってやらにゃーならんのです。
「知らんがな!」
ってねー。

そうやってストーリーのスルー癖をつけていくと良いかもしれません。

深刻さは錯覚ですからね。
ストーリーに聞く耳を持たなきゃ、深刻さは演出されないんです。

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