Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

知らないものは怖い。嫌い。

f:id:takuteto:20210103140003j:plain

はじめに

初対面の人と話す時ってね。
まーだいたい、

「休日は何をしているんですかー?」
「趣味はなんですかー?」

と言った話になるじゃないですか。

ま、ここで、
「休日も日によって違うわい!いつも同じことしてる訳と違うわい!
」ってね。
思うのは、まあ、そりゃ当然なわけで、
そんな事はみんな百も承知で言っているわけなんですけどねー。

一応、趣味を聞かれたらなんといおうか?
みたいなことは、準備しておきたいものですね。

ま、僕は、ギターとか言ってますが、
ここ1年はギターに触ってません。

そろそろ、弾けなくなってきているので、別の球を用意しておかなければ。
と思っております。

皆さんは休日に何をしてお過ごしでしょうか?
おはようございます。
タクさんです。

 

好きな事は知っていること

ま、みなさん。
趣味とは言わないまでも、それなりに好きな事ってあると思うんですよね。
そして、その好きな事に関しては、それなりにそのことを知っているんです。

当たり前ですよね。
知らないことを好きになる人なんておりませんからねー。

論語にも
「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」
という言葉があります。

逆に言いますとね。
僕らが嫌いだ!と思っているもの。
この中に、知らないから嫌いというものも結構あったりするんですよね。

知らないということは、人の恐怖心を掻き立てます。
だから、嫌いだ!
となるんです。

また知らないものが増えると困る!
そんなものは消えてなくなれっ!

みたいな思いも出てきたりしますからねー。

ちなみに、僕がチェケラーYO!YO!的なノリが苦手なのも、あまりその辺の文化を知らないからです。

認めることは知ること

僕らの恐れというのも、知らない。わからない。
から来ているものって多いんです。

「あらゆることは、正しく知ることにより、恐れへの執着はなくなる。」
なーんてことを仏教でも言われてたりしますが、
変な話、恐れても良いんです。
このことを知れば知るほど、恐れへの執着が減るんです。
恐れは起こっても、それはそれで良いってこと。
つまりゆるされていることを知るんです。

ゆるしとは、するのではなく、すでにそうであることを知ることなんです。

では、どうすればそれを知れるのか?というと
それは単に認めるとことなんです。

「そうなんだね!」
ってね。
認めることで始まるんですよね。

自分は何かがゆるせない!と思っているのなら、
「あー、この人(自分)のこの心は、このことがゆるせないんだね!」
って認めてみるんです。

この認めが呼び水となり、心の奥にあるいろんなことも出てくるかもしれません。
であれば、
「そうなんだね!」
ってね。
認めてあげれば良いんです。

すると、知れることも増えてきます。そして、知れば知るほどに、
なーんだ。それでもうゆるされてたんだ!ということが明らかになっていくんです。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!