Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元や悟りの話への触れ方

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

まー、この世には至福しか存在しない!
なーんて言われたらねー。
そりゃー、そういうことをわかりたい!
って思いますよね。

だって、それが分かったなら、
今悩んでいることからも解放されるし、
もう悩みや不安に脅かされることもなくなるじゃーんっ!

ってね。
理屈ではそういうことになりますからねぇ。
そりゃー、手に入れたいものですよね。

だから、こういう話に触れて、
なんとかその極意を探ろうとされている方も多いと思います。

ですが、触れれば触れるほどに、
いやいや、よくわからん。。。。

という方や、

話の筋としては、わかるんだけど、だからといって、
不安や悩みが消えるわけじゃない。
わしはどこか間違えておるのか??

と感じる方も多いかもしれません。

というわけでねー。
今日はそういった方向けに、この話の触れ方について
書いてみたいと思います。

 

至福へのあこがれ

悩みからの解放、至福へのあこがれ。
こういう思いが起こるということは、今は至福ではない!という観念があるからなんですけどねー。
そして、至福ではないという観念は、今の自分は不十分であると感じているということでもあるんです。

至福というのは、十分である。ということなんです。
そもそも、この世に不足ということはないんですよね。
不足というのは、この世が分断されて初めて起こる観念なんですが、
この分断というものが無いんです。
まあそんなわけでして、至福への憧れが強くなるほどに、不十分な自分が浮き彫りになってくるわけです。
そして、この不十分な自分という思いは、自身に危機感を演出し始めます。
この危機感は不快感として感じられます。

この不快感が、不安や迷いや恐れといった感覚として出てくるわけですねー。
そしてね。この感覚に対処しようとすることから探究欲がでてくるわけです。

ストーリーの始まり

不安や恐れや迷いといった感覚に対処するために、何が起こるのか?
といいますと、頭の中で、恐れや不安について整理されることから始まります。

これこれこういう理由から、恐れている。
こういうことが理由で不安が起こっている。

みたいな感じでね。

ここで作られる理由は、今感じている感覚にちゃんと合うようにでっちあげられます。
ここがうまく合わないストーリーだと、この感覚が納得しないんですよね。

だから、感覚に合うようにそれらしいストーリーが作られるわけです。
このストーリーに使われる材料が、体験や学んだこと。聞いたこと。
などで構成されるというわけですねー。

そういう意味では、目の前の世界は自身の投影でもあるというわけです。

話の触れ方

では、こういった話について、どう触れれば良いのか?
といいますと、
自身の中で展開しているストーリー。
つまり思いの流れから離れるために利用すれば良いんです。

思いの流れを展開するのに、僕らは多大なエネルギーを使っています。
ここから離れると、スーッと力が抜ける感覚を感じると思うんですよね。
そして、そうなったなら、そのまんま、思考の流れがない中に漂ってみれば良いんです。

すると、思考が起こるカラクリもみえてくるんですよね。

この話は、あなたの思考のもつれをファッと振り解くのに役立てれば良いんです。

思考の流れを置いておき、何にもない中にただ在ってみる。
これをやってれば、どちらが本流なのか?ということもみえてくるんです。

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