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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考に巻き込まれないコツ03【判断から自由になる】

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思考は判断を元に起こる

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

今日も前回の続きを書いていきますよー。
前回の記事を読んでいない方はそちらから読んでいただけると幸いです。

 

takuteto.hatenablog.com

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というわけで、やっと思考に巻き込まれないコツの本題に入れそうです。
さてさて。
思考というのは、何から起こっているのか?
といいますと、判断によって起こっています。

ま、逆にいうと判断がないと思考って起こらないんですよね。
だから、この判断から離れること。
これが思考に巻き込まれないコツなんです。

ちょっとややこしいのがね。

思考に巻き込まれないようにしましょうねー!
なんてことを聞いちゃうと、
その、「思考に巻き込まれてはダメだ!」
ということ。
これもまた一つの判断材料になってしまうっていうねー。
そういうジレンマもあるわけです。

あ、しまった。
また思考に巻き込まれてしまった!
どうしたら良いんだろう??

ってね。
思考に巻き込まれないための判断材料を探そうとして、
余計に判断に巻き込まれる!
みたいなねー。
そんなパラドックスも存在するわけです。

だから、ちょっとややこしいんですが、まあとにかくどんな判断からも離れてみる!
これが思考に巻き込まれないコツなんです。

 

人生で大切なこと

思考に巻き込まれるというのは、ある種、自分の人生を乗っ取られるということでもあります。
人生を思考に乗っ取られると、思いばかりに意識が向いてしまうので、思い通りに行かないことに嘆き悲しむことに人生が費やされてしまうんですよね。
そして、この思い込みに乗っ取られるほどに、自由も失ってしまうんです。

だから、思考に巻き込まれないためにも、判断から自由になること。
これは人生で最も大切なことの一つだと言えると思います。

ま、ここにも一つのパラドックスが隠れておりました、「人生」というのは思考の中だけに存在する概念だということなんですけどねー。
なので、人生にこだわると、これまた思考に絡めとられてしまうっていうこともあるんですがね。
でも、判断から自由になるというのは、真の自分を取り戻す!という意味でも大事なことなんです。

(※ま、この「自分」というのもまた思考の一部なんですけどね。)

判断から自由になるコツ

判断から自由になるコツというのは、その判断を観ることなんです。
「あ、こんな判断が起きたなー」
ってね。
観てあげること。
それだけで判断からは勝手に自由になっていくんですよね。
逆に観る以上の何かをしようとすれば、その何かをしように巻き込まれていきます。

とはいえねー。
「いくら観ても、判断が起こり続けるんですけど、、、。」

って思うかもしれません。
でも、それはそれで、正常なので大丈夫なんです。

判断は単体では特に問題はありません。

判断が思考につながり、その思考が深刻化することによって初めて、思考に巻き込まれていくわけなんですけどね。
その場合、この判断に強い執着が加わることで、思考が深刻化するんです。

なので、判断が起こることは問題ありません。
その判断に執着することで、思考に巻き込まれやすくなるということになるんです。

だから、執着していない判断は、簡単に観ることができますし、それほど思考に間こまれたりしません。
例えば、道を歩いていて、
「あ、あそこに坊主の中学生が歩いている。」
ってね。気づくとするじゃないですか。

ここでは、坊主だ!とか中学生だ!といった、
いろんな判断は起こっているわけですが、別に坊主の中学生が歩いていたとして、そこになんのこだわりも執着もありませんよね。

だから、
「なぜ、中学生が歩いているんだー!神はなぜ!坊主の中学生を歩かせたのかー!!!!」
みたいにね。ならないじゃないですか。
思考が深刻化していくことはなく、思いに巻き込まれることもありません。

だって、単なる坊主の中学生ですからね。

ただ、そういう判断が起こった。
以上。

で終わるんですね。

判断を観るためのコツ

ですが、ここに執着が強く働いている場合は、ただ判断を観るだけで良いんだよー。
と言ったところで、なかなかうまく行かなかったりするんです。

まー、そのためにいろんなワークだとか修行だとかが存在するわけなんですけどねー。
仏教でいうところの修行というものも、判断を観るためのコツなんですよね。

執着が強く働いている場合は、そこをうまくかわさなきゃいけないわけでしてね。
そのコツを習得する。
つまり、あらゆる修行やワークは、判断を観るための準備運動のようなものなんです。

ちょっと長丁場なテーマになってきましたが、今日はここまでにします。
次回は、判断を観るための具体的なコツについて書いていきたいと思います。

 

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