Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

うましか論争とおバカの話

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

好きな漫画はキングダムです。
まー元々僕は史記という歴史書が好きですのでねー。
春秋戦国時代は大好物なんですよね。

ま、キングダムはこの春秋戦国時代の末期、秦の始皇帝の誕生前夜がモチーフになっておりますが、この秦という国は、趙高という宦官によって滅んでいきます。

この趙高というおじさんが、やりたい放題することによって、どんどん力を失うわけなんですけどねー。
この趙高が鹿を連れてきて、
「これは馬じゃ!」というシーンは有名です。

その場にいた家臣の中で、
「何を言っている!鹿ではないか!」
というグループと、
「はい!馬でございます!」
と言ったグループとでちょっとした論争になったんですが、
その後、鹿といったグループの人たちはみんな殺されてしまいまいた。

というお話しでしてねー。

「馬鹿」の語源となっているわけです。

 

馬は馬ではなく、鹿は鹿ではない

まーとはいえね。
実は馬って馬じゃないですし、鹿も鹿ではないんですよね。
ただ、勝手にそう分類して、そう呼んでいるだけです。

僕らも自分の名前ってありますけど、これって、あなた自身を表現するものじゃないですよね。
ただ、そう呼ぶことにしているというものですからねー。
名前は変えることができますからね。でも変えたらあなた自身が変わるわけでもありませんもんね。
まー、常に呼ばれる名前によってテンションは変わるかもしれませんが、、、。

僕らは似たもの同士をグループ分けをする

馬でも鹿でもそうですけど、これって、似たもので括ってグループ分けをしているに過ぎません。
馬同士は確かに似ていますが、全く同じものではありません。
これは僕ら人間だってそうですよね。
みんな違うわけです。
男と女に分けたりもしていますが、男がみんな同じであるはずはないし、
女だったらみんな同じであるわけがありません。

でも似たもの同士を括って、このグループ分けに便宜上、名前をつけているわけです。

でも、これは単なるグループ分けであって、本質ではないんですよね。

いつしかこのグループ分けを真実と錯覚する

ただねー。
ここが僕らの悪い癖なのかもしれませんが、グループ分けしたものに対して、
僕らはレッテル貼りをしちゃうんですよね。
そして名前をつけるという行為はそこに意味も一緒につけちゃうんです。
全く同じ雲なんて存在しないのに、雲だと名付けた時点で、雲とはこういうものという意味も一緒にくっつけちゃうんです。
ここで使われる意味はある種の記号化のようなものなんですが、この記号化された意味を真実だと錯覚してしまうというねー。
そんな変な癖を持っているんです。
あらゆる花は世界にひとつだけの花なのに、
花を記号化して覚えてしまい、花は花だとしてしまう。
男はこういうもの。女はこういうもの。
日本人はこうで、アメリカ人はこう。
中国人はこんな感じで、アフリカ人はこんな感じ。
これって全部錯覚なんですけど、この錯覚のほうを真実として見てしまうっていうねー。
これはまさに幻想のような錯覚を真実だとしてしまうというのと一緒です。
そんな変な癖があるんですよねー。

実は馬鹿の方が真実に近い

名前をつけてその名前の意味を見てしまうことによって僕らは真実を見誤ってしまうというわけですねー。

なのでね。
鹿をちゃんと鹿としてみるよりも、もしかしたら馬なのかもしれない。
こんなおバカさの方が、実は錯覚から目覚めている可能性すらあるんです。

なぜなら、鹿が馬でもいいのならば、もう鹿も馬もないということに気付けるチャンスが近いからです。

そう。真実としては目の前のものはどんな枠にも当てはまらないものなんです。
あらゆるものがなんでもないものだと知った時、残るのはこの気づきだけなんです。
気づきに何も足さなければ、どんな枠にも当てはまりません。
この気づきこそが存在そのものであり、それしかないし、それで全てなんですよね。

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