Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今をどう楽しむかが問われるとき。

f:id:takuteto:20201023225511j:plain

はじめに

ほーい。
おはようございます。

いやー、昭和の頃は新しいテクノロジーや新製品に心躍らせたもんですが、
最近は、ちょっとついていくのが不安なタクサンです。

みなさんは、どのようなテクノロジーライフをお過ごしでしょうか?

最近のAIを使ったマーケティングサービスの概要なんかを読んでいると、
メールや顧客データやアクセス履歴や会員情報などのデータから、
ユーザーごとの適切な広告戦略をAIが提案してくれたり、
はたまた、動画コンテンツを自動で作ってくれたり、
さらには、その動画コンテンツをこれまたAIが各SNSのメディアに合うように編集してくれたり、
さらに、さらに、この動画でどのくらいのコンバージョンが得られるかを予測してくれたり、
とねー。
とにかくすごいんですよね。

そのうち、何を食べるべきかもAIが提案してくれて、
もちろん仕事もAIがやってくれて、
車も自動。料理も自動。
農業も工業も自動ってねー。

そんな未来もスグそこにきているような気がします。

ただねぇ。
AIにできないことがあるんですよ。

それがね。

遊びを楽しむということです。

僕ら人間が今後問われること。
それは、どのように遊び、どのように楽しむのか?

これが問われてくるのかもしれませんね。

 

発展という魅力とむなしさ

産業革命以降の僕らは、テクノロジーの発展に心躍らせ、
どのように便利に、豊かになっていくのか?
ということに、注目されていて、
発展に力を注げば注ぐほど幸せになれる!
っていうねー。
そんな幻想に突っ走ってきたわけですが、
この辺の潮目も変わってくるのかもしれませんね。

日本でも、牧歌的な江戸時代の暮らしから、一転、
西欧に追いつけ追い越せ、富国強兵だーからの経済大国だー!
ってやってきたわけですが、

あれれー?
いけども、いけども、いつも何かに追われてるようなね。
気持ちだけが焦って、
今日より明日、明日よりも一年後!

ってねー。
より良い未来を置い続けて、今をおいてけぼりにしちゃってた節がありますもんね。

遊びは今だけに存在する

でも、こと遊びに関しては、今しか楽しめません。

正しく何かをすることでもありません。
ただ、ダイレクトに今を感じることです。

今を遊ぶ。
今を楽しむ。

これは、こうしたら正しい。こうしたらもっとより良くなる。
といった幻想からの解放でもあります。

そのうち、正しさ、間違いという概念も古い考え方になってくると面白いですよねー。
身分制度と同じようにね。

今を遊ぶ醍醐味

今を遊ぶとは、今の感覚を楽しむということです。

今の感覚とは言葉の概念の中にある物じゃありません。
ダイレクトな感覚にしかありませんもんね。

この感覚を味わう楽しみ。
これこそが今を遊ぶ醍醐味なんですよね。

この醍醐味はよみがえるんです。
子供の頃、今を遊んでいた感覚。このダイレクトな感覚こそ、
生き物が今を生きることによって味わえる味なんですよね。

そんな今の感覚を遊ぶこと。これを祝福しちゃいましょう。

今の感覚を判断せずに祝福してみるんです。
すると、
「うわ!ホント!この今しかないんじゃん!」
ってな感覚が甦ってきてくれるかと思います。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!