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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

今日もこんなブキミなブログにきていただいてありがとうございます。
とっても嬉しいです。

きっとこのブログをねー。
スマホで見てもらってる方って多いと思うんですけどね。
実は、パソコンの方で見てもらうと、
ブログのタイトルの下にね。
「非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。」
っていうねー。
サブタイトルが書いてあったりするんです。

と、いうわけで、
今日はこのサブタイトルのことについて書いてみたいと思います。

 

非二元と悟りの違いはなに?

たまにねー。
あんたの言ってることは悟りなの?
それとも非二元のことを言っているの?
ってね。
聞かれることがあるんですが、
まーこれってね。
どっちでもあるし、どっちでもない。
ってなことになっちゃうんですよね。

ただ、これを聞く方は、きっと悟りというのはこういうもの。
そして、非二元というのはこういうもの。

みたいなね。
そんな定義があるから、あんたはどっちなの?
って聞いてるんだと思うんですよねー。

そういう意味で聞かれているんだとしたら、
そりゃーどっちでもありませんわ。
ってなことになるんです。

定義を知り身に付けるのではなく、定義を定義と知ること。

じゃあどっちでもあるというのはどういうことなのよ!
ってことなんですけどね。
それはもう、言葉通りということになります。

二元にあらず。
のことを言っておりますし、
誰かが悟るのではなく、「悟り」について言っておるんですね。
これは定義ではありません。

定義というものは、概念の内容を語義で定める。
つまり、何かしらの概念を一定のルールに定める。
ということになります。

これは、何かしらの議論をするときに、必要なことですね。
同じ言葉や同じ概念について語っていたとしても、語るもの同士が全く違う意味で捉えていたら話は噛み合わないですからねー。
その時は、とりあえず、定義づけしておこうぜー!となるわけです。

麻雀するときに、どういうルールにするかを決めておくというのと一緒です。
※そういえば、昔、じゃりんこチエという漫画の中で、麻雀は日本と香港ではルールが違うなんて話をみた覚えがあります。

定義を真実と置き換えてしまうというクセ

そして僕らはいつしかこの定義を真実と置き換えてしまうというクセがあったりするわけですね。
でもこれはあくまでもルールづけでしかないんです。

もちろん。
非二元やノンデュアリティに対して、
いろんな定義があることは知っております。
定義の内容までは詳しく知りませんけどね。

そして、悟りを語る方に非二元はダメときき、
非二元を語る方に悟りはダメときき、
また、とある先生からは、悟りも非二元もダメ!
なんて聞いて、ますます混乱されている方もおられるようなんですけどねー。

そもそも、何かに定義づけされたもの。それはルールづけされたものでしかないわけでしてねー。
定義の種類の中に良いも悪いもないんですよ。

それを言い出すと、
サッカーのルールは間違っている!ボールはバットで打つべきだ!
いや、野球のルールこそおかしい!ボールを投げるなんてとんでもない!

って言ってるのと同じですのでね。

そんなことで、青スジたてんでもええやねん♪
って話なんですよね。

どちらの方が価値が高い!なんてことはありませんもんねー。
価値というのもまた、ある種のルールの上に成り立つものですからね。

ルールをルールと知ること。

ルールをルールと知ること。
この見抜きがねー。
極まってきますと、うは!みてきたこと、聞いたこと。全部ルールやん!
うほほっ!自分というもの、そして時間もまたルールやん!
そして、思考はルールがないと働かないものなのかー!

ってねー。知るわけです。
そして、僕らは常にルールに脅され緊張してたことを知るんですよね。

これを知ることが、
「非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。」
でもあるわけです。

僕らは別に何かを知らなきゃならないわけじゃなかったんですね。
元々あったもの。定義なんて必要としないもの。
その全てが既にここにあったんです。

私には何かが足りない。
という思い込みは、知らない間に手に入れた定義、ルールによって起こっていた錯覚のようなものだったんです。

それは、あくまでもルール上のことであり、真実ではないんです。

もしね。
だれかに、私は何か間違っているのか?何か足りないのか?
という思いを押しつけられてるなーって感じる時は、
何かしらのルールを押し付けられているってことになります。

その時は、ちょっとルールから離れてみたらいいんです。

何も持たないあなたに、足りないものはありません。
足りないというルールの中にしか足りないはないんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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