Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生は誰もコントロールしていない

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん。
デパートには最近行っておりますか?
僕は最近はめっきり行かなくなりました。
タマにいくのも、食事の時くらいですかねー?
「なんでも良いけど、何食べよう?」
みたいな時は、いろんなレストランが集まってて便利ですからねー。
そんなデパートですが、

僕が子供の頃はデパートの屋上には、ちょっとした遊園地のような施設がありました。
あれがねー。もうワクワクして、たのしくてねー。
ソフトクリームを買ってもらって、ただガタガタ揺れるだけの車の乗り物によくのせてもらったものです。

あんなにワクワクしたデパートの屋上遊園地も、もうほとんど全滅しちゃったらしく、
今は日本全国に、ほんの数件しかないらしいです。
ちょっと寂しいですねー。

ちなみに、デパートの屋上には、ペットショップがあることも多く、
ペットショップ大好きな僕としては、最高の場所でございました。
よく金魚をかいにいきましたねー。

よく乗っていたガタガタ揺れるだけの車の乗り物は、ハンドルはクルクルと回せるんですが、もちろん運転はできません。その場でガタガタ揺れているだけです。
あとは、もうイマジネーションで、思いっきり運転している気分を味わうというシュールな遊具です。
まあそれでも、十分運転気分を味わっていたんですけどね。

イマジネーションで運転している気分になっている。
これってね。
実は人生にもとっても似ています。
僕らは自分の人生を運転している気分になっていますが、
実は動かせているのはハンドルだけだったりするんですよねー。
というわけで、今日はその辺のお話をしてみたいと思います。

 

できることと、できないこと

僕らはね。
手を動かそうとすれば動かせるじゃないですか。
でも、手首をクルクルーと360度回転させることはできません。

お腹がすけば、何かを食べることはできますよね。
でも、お腹をすかそうとすることはできません。

好きな食べ物を選んで食べることはできますが、
どの食べ物を好きになるのかを決めることはできません。

トイレに行きたいけど、ちょっとだけ我慢しよう!
ということはできますけど、
トイレ行きたいー!となることをコントロールできませんよね。

つまりね。
僕らは、肝心なところは全然コントロールできないんですよね。
これって、まるで、ガタガタと動く車の遊具のハンドルのようなものなんです。

人生をコントロールしているという錯覚

ガタガタ動くだけの車の遊具のハンドルのように、
僕らも、なまじっかちょっとしたことを、自分でできる!ってねー。
思ってるものですから、
どうも、人生の全てを自分がコントロールしているという気分になっているんですよね。

誰を好きになるのか?なんて自分では一切決められないのに、
なぜ振られたんだろう?自分の何が悪かったんだろう?
ってねー。悩んじゃうんです。

あの人はなぜ振り向いてくれないんだろう?
ワタシはこんなに尽くしているのに・・・。

って悩んだりもするわけですね。

ワタシもあの人も、誰を好きになるのかを一切コントロールしておりませんので、
ここって悩みどころじゃないんですけどねー。

錯覚から生じる悪循環

そもそも、自分ができると思っているあらゆることも、
させられているといった側面の方が強いんです。
だから、悩みや苦に対して僕らができることってあまりないんです。

ただ、苦や悩みというものは、あるがままに起こっていることに対する抵抗なんですよね。
そして、この抵抗は、自分がコントロールしているという錯覚から生まれているわけです。

この抵抗の矛先は、自分に向かってきます。

「自分がダメなのは、自分が何か足りないせいだ。」
となるわけですね。

ちなみに、
「自分がダメなのは、社会のせいだ!」
となっている場合も、ちゃんと矛先は自分に向かっています。

この辺りのカラクリは少々ややこしいんですが、
社会や世界も自分の中にあるものでしてね。

自分が足りないと思いすぎると、とてもツラくなってくるので、
ある境界を超えてくると、自分の中に自分じゃない部分をつくりあげるんですよね。

そして、自分じゃない部分を悪者にするわけです。

僕らにできること

そうやって、自分に向けられた抵抗が大きくなると、
こんどは、ホントはやりたくないことをしてしまったりするんです。
ちょっとした悪循環になってしまうんです。

「でも、自分にできることってないんでしょー?」
「だったらどうしたら良いのよ!」

ってねー。大きなジレンマを感じてしまいますよね。

ただ、ちょっとだけ自分にできることがあるとすれば、
それは、あるがままをあるがままにみること。

そして、自分をちゃんと愛てあげること。

ここに尽きるんですよね。

あるがままにみることというのは、判断を通さずに在るということになります。

ただ、自分を責めていると、これがなかなか難しかったりするのでね。
そのために、まずはちゃんと自分を愛てあげるのが大事なんですねー。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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