Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは夢から醒めて、夢を見る

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はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさんは朝起きると知らない天井だったことはありますか?
あれ、ビビりますよねー!

ワシは昨晩何をしていたんだ!と
ドキドキしながら思い出そうとします。

まー僕も若い頃は何度かそういうことがあったような気がします。

飲み過ぎて、どうやって家に帰ってきたのか覚えてないこともよくありますねー。

でも、そういう時って、ちゃんとパジャマに着替えて寝てたりするんですよね。
覚えてないと、それがとても不思議に感じたりするものです。
それほど、僕らは記憶というものに依存しているんですよねー。

ちなみに、子供の頃は、その傾向はあまりないんですけどね。
大人になるほど、記憶は増えていき、どうしても依存度が増えてくるんじゃないのかな?
なんて思ったりします。

 

僕らは過去の記憶をたよりに現状を把握する

ま、そんなわけで、僕らは
朝起きると、すぐに現状把握をしたがるわけです。
その現状把握は何を頼りにするのかというと、
やはりそれも記憶です。

現状の把握を、過去の記憶に頼るというのは、
ちょっと変な気がしますが、
僕らは、まっさらなものは受け入れられないんですよね。
だから、常に真新しい「今」を過去の記憶の判断に頼っちゃうというわけです。

そして、一通りの現状把握が終わると、やっと落ち着けるというわけです。

なぜ、知らない天井に焦るのかというと、
普段の現状把握に新しいチェック項目が増えてしまうからとも言えますね。

知らない場所にいるとなると、その理由を把握しておかなきゃならないので、
必死に記憶をたぐるわけです。
そして、わからない間はずっと頭フル回転ですので、焦っちゃうんですよねー。

今を過去に置き換える

そんなわけで、僕らは常に目の前にある真新しい「今」を「過去」に置き換えるんです。
この「過去」とは実際に存在するものではなく、まさに記憶による判断です。
新しいことに出会うと、よく似た関連性のある過去と結びつけて仕舞い込みます。
そうやって、「今」を歪めて認識するんですよね。

観念の嘘

関連性のある過去と結びつけるというのは、
ちょっと例を出すのが難しいんですが、
ま、例えていうなら、昔友達から、ビジネスの話があるといって呼び出されて、
話を聞きに行くと、それがネットワークビジネスの勧誘で、長時間返してもらえなかった。
みたいなね。
そんな経験があったとすると、
だれかから、ビジネスの話なんだけど、、、と言われると、「はい!怪しい!」って条件反射的に思ってしまう。
みたいなものでしょうか?

「私はアメリカ人です。」と聞くと、「あ、肉が好きなんだろうなぁ」と思ってしまう。
みたいな?

簡単な例だとそんな感じですが、あらゆる全てのものに関して僕らは何かしら過去の記憶と結びつけるクセがあるので、真新しいものを新しいまま受け取ることができにくくなってるんですよね。

今を歪めて認識するクセ

もちろんのことながら、「今」は常に新しい今です。そして全ては変化します。
今の環境がずっと続くことはありません。
一寸先は光り輝いているわけです。
真新しい、新品のピカピカです。

それを僕らは、記憶というイメージで、手垢のついた過去に置き換えてみてるんですよねー。

僕らは夢から醒めて、夢を見る

朝起きて、すぐに記憶をたぐることで、僕らはすぐに記憶のイメージを通した世界を見ています。
また、記憶というのは、今の気分によって選び出されます。
そうして、そのイメージの世界に入り込むというわけです。

つまり、寝ている間の夢から醒めて、また夢を見る。
みたいなことを繰り返しているとも言えるんですよね。

真新しいものを真新しいまま受け入れてみるということ。
これは、記憶の依存からの目覚めです。
全てが新しく新品で、ピカピカの今に浸っていると、あらゆる重さからも解放されます。
なぜなら、重みというのも、深刻さというものも、すべて記憶のイメージの中にしかないものだからです。
僕らは記憶のイメージを見ながら、過去を頭の中で再現させていたんですよね。

takuteto.hatenablog.com

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