Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

特別さという錯覚

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。

いやー。
それにしても、Appleのサイトを見ていたら、
そろそろ、わしのMacも買い替えても良いんではなかろうか?
なんて、ついつい思っちゃうタクさんです。

コワイです。

まー、あらゆる広告は、
特別さ!というものを演出してきております。

そして、僕らって特別さに弱いんですよね。
特別さには、なにか大きな力があるように感じますし、
そんな力を僕らは喉から手がでるほど、欲しぃ〜!って思っちゃうんですよね。

ま、これが思考の特徴でもあります。

ですので、あまりに思考への依存が強いと、
この特別さという幻想にハマりやすいんですよねー。

ですが、特別さにはなんの力もありません。
ですので、僕らは延々と力を求め、特別さを求めつづけてしまう。
ってなことになってしまいがちなんですが、
まー、これは思考による錯覚ですのでね。
あまり、本気で相手にしなくても良いんですよねー。

 

特別さというものはイメージの中にしかない

さて、僕もここでよく、分離というものはありません。
なんてことを書いていますが、
分離がないということは、一切の特別さがないということになるんですよねー。
だって「特別さっ」て、比較という概念を通らないと成り立ちませんからねー。
そして、比較というのは、分離という概念を通らないと成り立ちません。

もちろん、分離という概念がないと言ってるわけじゃなくてね。
概念というものはすべて実体がないということを言っておるわけなんですが、
この分離の概念は、特別さの概念、比較という概念とセットになって働いているわけです。

そしてねー。
特別さがないということは個人的なものも存在しないということなんです。

個人的なものや個人というのもまた、比較や分離の概念を使わないと成り立たない概念だからなんですねー。

あらゆる概念は互いに依存し合いながら絡まり合っておりますのでね。
ちょっとややこしく感じるかもしれませんが、どこまで行っても、概念は概念でしかないんです。

思考は分離とセットで働く

さて、思考とはどういう働きなのかと言いますと、
ちょっとした他と違うところを特定して、
そこを足掛かりに、これとこれは違うよねーってね。
線引きをしていく作業によって成り立っているんですよね。

この足掛かりを頼りにして構築されていますので、
この線引きを信じ込んでる状態ってことになります。

そして、この線引きというのが、分離なんです。
そして、この線引きを信じるというのは、分離の概念を採用しているということと同じっていうことなんです。

分離が分離のなさを理解できるわけがない

つまり何が言いたいねん!
って話なんですが、思考というのが、そのまま分離そのものだということなんです。
つまり、思考では分離のなさを理解することはできないってことなんですよねー。

思考っていうのは常に、分離の概念を使って、仮想の現実を作る働きなんです。
だから、この現実は仮想のものなんだー!てなことを思考に理解させようとするのもまた、徒労に終わります。
だって思考にとっては現実は真実ですからね。
思考の働きとしては、ちゃんと現実なんです。

これを変えることはできません。

思い通りにならない条件もまた思考によって演出されたものである

僕らはそうやって、作られた思考の世界の中で、
思い通りにならない現実に苦しむわけですが、
この思い通りにならない条件もまた、思考が作ったものですのでねー。
そりゃ、しゃーないというものであって、
思考によって作られた現実というのは、そういうものだというわけです。

分離の概念によって作られた世界観の中では、どうしても思い通りになることと、ならないことが存在します。

それは、分離された時点で、良いと悪い。正しいと間違い。と言った具合に分離の条件というものがひっついてくるからなんです。

思考をそれほど重要視しなくても良い

思考は確かにとても便利な機能ではありますが、
その思考が作る世界にいうほど依存しなくても良いんですよね。
「え!そうなんだ!いうほど思考を頼りにしなくても良いんだ!」
ってなると、思考の働きが弱まります。

弱まることで、初めて、思考によって隠されていた目の前の世界を知るんです。
別に隠されていたわけじゃなくずっと目の前にあったんですけどね。
僕らはこれを別物に置き換えてみていたことによって、
あるがままが見逃されていたんです。

でね。なんていうか、見逃されていたあるがままを見れば見るほど、
思考もまたシンプルにうまく働き出してくれるんですよね。

この辺はホント、パラドックスです。
パラドックスでありながら、とてもシンプルでダイレクトなんです。

分離のなさを解明しなくても良い

だから分離のなさを解明しようとするよりは、その衝動をそっと横に置いておく。
そして、ただ、この今にリラックスしてみる。
すると、別に思考で解明しなくてもよくねーか?なんて可能性が湧き出てくるわけです。
それは解明しないという判断ではありません。
解明が起こっていても、それも一つの働きでしかないという気づきなんです。
思考は名も無い、とってもステキングな働きなんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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