Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

理解と洞察

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はじめに 

はい。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
イチゴはお好きですか?
僕は好きです。

でもイチゴってずーっと食べてたら、
なんか野菜食べてるような感じになってくるんですよね。
なんか、生臭くさえ感じてくるんです。

好きだからずっと食べれるはず!って思ってても、
なかなかそうはいかないんですよね。

ぼく海苔も、好きなんですが、
これもずーっと食べ続けてたら、なんか磯の香りが、
ドブ臭い感じに変わってきて、
やっぱり食べ続けることはできませんでした。

僕は好きなものがあると、とことんやってみたくなるクセがありましてねー。
好きな食べ物も不味くなるまで食べてみたくなっちゃうんですが、
やっぱり好きなこととやりたいことって、必ずしも一致するわけじゃなく、
やりたいことは、都度変わってしまうんですよね。

ただ、好きなことだと、一時離れていたとしても、また戻ってくるものなんですけどねー。

 

好きなことと幸せなことのギャップ

好きだから、今は楽しいはずだ!
好きなことやってるんだから、幸せなはずだ!
ってね。
思い込んでることも結構あると思うんですけどね。
今、やりたいことはこれじゃなかった!
なんてことも多いと思います。
好きなはずなのにやりたくないってやつです。

僕らはどうしても、思考で何かを判断しちゃうクセがありますが、
好き嫌いややりたいことって思考で判断できないんですよね。

そして、あらゆることって判断で導くものじゃなかったりするんですよね。

人生の岐路にあるときも、
ああ、なんとなくコレだ!って感じがする方を選んだ方がしっくりくるもんです。

ここで、条件を集めて判断しても、なんかしっくりこなかったりするんですよね。

あらゆる条件を並び立ててみても、条件が良くてもしっくりこない。
条件はいいはずだから間違っていないんだ!
って思い込もうとしても、やっぱりしっくりこないものはしっくりこないんです。

知識での理解と在るからの洞察

知識での理解は、例えば、
何か買い物する時に、こっちの方が安上がりだとか、
成分は一緒だからこっちの方がお得だとか、
そういったものには役に立つんです。

僕らが学校で教わってきたものは全てこのたぐいのものなので、
テストでいい点をとったり、資格試験に合格するのにも、
知識での理解が役に立ちます。

逆に自分の好きなこととか、本質の自分、在りたい自分。
なんてのは、知識での理解は一切役に立たないんですよねー。

こちらに必要なのは理解じゃなくて、洞察になるんです。

知識が役に立たないこと

また、悟りや「それ」や非二元への理解もまた、
知識での理解は一切役に立ちません。
それどころか、多くの知識は邪魔になってしまうんです。

これらは、本質についてのお話しですので、
本質に在ることにより洞察されることなんですねー。

洞察は理解じゃないんですよね。

洞察とは見抜きなんです。

理解は条件や公式を使って物事を当てはめることですが、
洞察は、条件や公式という枠が一切ないことの見抜きであり、
それらにとらわれないことなんです。

それらにとらわれないことで、本質を本質のまま表現させてあげられる。
何も足さなくていいし、何も引かなくていいんです。

 

takuteto.hatenablog.com

 

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