Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

冗談を真剣に遊ぶ!

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はじめに

はーい。
どうもおはようございます。

スマホでね。
よくゲームの広告があったりするじゃないですか。
その広告のゲームをダウンロードすると、広告で表現されているゲームと全然違う!
みたいなことが起こってるんですけど、
さらに最近では、あの嘘広告のゲーム!というものもあったりするんですよね。

よく分からなさすぎて、混乱しそうになっているタクさんです。
本日もよろしくお願いします。

みなさん。
子供の頃は、
どんな遊びをしましたか?

鬼ごっことか探偵とか高オニとか。
懐かしい遊びもたくさんありますが、
まーとにかく、キャッキャ言って遊んでましたよねぇ。

鬼ごっことかも、マジでしたもん。

そうやってキャッキャ言ってたら、いつの間にか空が夕焼けに染まり、
あー、もう帰らなきゃかー。

ってね。
残念な気持ちになったもんでした。

でも、不思議なもんで、大人になったらあれほどキャッキャいいながらは、
遊べなくなるもんですねー。

きっと、大人という妙な観念が、鬼ごっこを本気にさせないようなところがあるんでしょうね。

 

人生は冗談のようなもの

僕らは今、ここに在る時点ですでに完璧です。
この完璧さの中で遊ぶ人生はオマケのようなものであり、
人生に起こるあらゆることは、まるで冗談のようなものです。

それはまさに、鬼ごっこや探偵のような遊びのようなものなんです。

僕らはすでに生きていて、生きているからこそ思考も起こってくるわけなんですが、
その思考の中で、ちゃんと生きなきゃ!って思ったりしていて、
この「ちゃんと」の条件に沿わない生き方について悩んだりしているわけですが、
この冗談のような仕組みをしると、そこで悩む必要って全然ないじゃーん!ってことなんですよね。

冗談を本気で遊ぶ

さて、オマケで冗談だからといって、人生は別につまらないものでもくだらないものでもありません。
この冗談がとても愉快であり、このオマケが例えようがないほど素晴らしいわけです。
冗談だからつまらない。という考えは、鬼ごっこは子供の遊びだとする大人の考えのようなもので、錯覚なんです。

大人の仕事と子供の鬼ごっこ。ここに価値の差はありません。

だから、この冗談で、おまけの人生も本気で遊べば遊ぶほど、光り輝くんです。
ただ僕らがこの人生に深刻になりすぎるのは、本気になりすぎて遊びの本分を忘れちゃっているんですよね。

深刻さは悪くない

僕らは人生に本気になりすぎることによって、深刻さを感じます。
そして、この深刻さが嫌なので苦しんじゃうわけですが、
深刻さは別に悪いものではありません。
深刻なあなたはとても素晴らしく輝いているんです。

深刻さがつらくなるのは、「自分」を否定するからなんですが、
「そうかー。深刻さもまた真剣に冗談を遊んでいるという証拠なのか!」
ということが発見されると、深刻さは許されます。
そして深刻さが抜け、真剣さに変わるんです。

そして、深刻さが抜ける時、見えなかった自身の輝きが見えてくるんですねー(しらんけど)。

それはノリノリの真剣な遊びなんです。 

takuteto.hatenablog.com

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