Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

良いと悪いはセットでお得!

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・はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

コロナの後はこうなる!ああなる!
ってねぇ。

いろんな人がゆーてはりますが、
誰もコロナが来る前に、そろそろコロナが来るよー。
とは言ってないんですよね。

つまり、先のことを言っているいろんな人は、
この先どうなるかわかってる人じゃないということです。

ま、そんなんわかる人なんているはずがないんですけどねー。

そもそも、この世は未知です。
僕らは未知の中で既知を得たがるから迷っちゃうんですよね。

わからないということ。
これが真実であるというわけです。

そして未知こそ、まさにミラクルそのものなんです。

ーー

・イノチは常に変化をし続ける表現
目の前の世界は万華鏡のようなものです。
常に変化をし続ける表現なんですねー。
それこそがイノチそのものなんです。
それはどれをとっても同じことを繰り返しません。
でも僕らは、毎日の日常って同じことの繰り返しのように感じたりしますよね。
なぜ、全く同じことがない変化の中で、
同じようなことの繰り返しのように感じているのか?
といいますと、
それは、捉え方の型に当てはめて、同じことだとしているからなんです。

この捉え方の型とは、いわゆる考え方のことなんですが、
僕らはこの考え方をたくさん仕入れることによって、
あらゆることを知ったつもりになっているんですねー。

・実在しない架空の枠
考え方というのは、言い換えると条件付けであり、レッテルであり、ルールであり、思い込みのことです。
原因と結果というのもまた、考え方の一つです。

これらのすべてはイメージ上で作り上げられるものなんですねー。
僕らは目の前に繰り広げられるあらゆる変化の表現を、イメージに置き換えて掴み取っているというわけです。
ですが、イメージというのは変化そのものを捉えることはできません。
だから、固定化された枠に置き換えるというわけです。

因果の法則というのもまた、変化を固定化させる枠の一つなんです。

しかもこの枠って実在はしないんです。

・良いと悪いはセットでお得!
そして、イメージで捉えられた世界を僕らは現実と呼んでいるんですね。
なので、現実を変えるには、捉え方を変えれば良いということになるので、
僕らはより良い捉え方を求めて探究をしているというわけです。
ただ、ここで一つのジレンマにぶつかるんですよね。

それは、より良いを求めることで、その裏にある悪いも掴んじゃうというジレンマです。

良いを手に入れるには、悪いの存在を認めることになるわけですねー。

また、世界をどう掴めば良いのか?というこだわりは、「わからない」を認めません。
なぜなら、わからないというのは、掴めないということになりますからねー。

・すべては未知であり、良いも悪いもない
未知の中で既知を求め続けるということは、
いつまで経っても手に入らないものを追い続けるということになります。
なので、究極の真実への探究はいつまでも続いちゃうわけです。

でも究極の真実の正体は未知だということなんです。
つまり僕らはすでにゴールにいたということになるんですよね。

もちろん、思考は何かを枠にはめて理解するという働きの一つですので、
思考は未知を認めてはくれません。
でも、それで良いんです。
なぜなら、川はゆらゆらと流れ、光の屈折は虹を作り上げるように、
思考もまたそういう働きをするひとつの自然の姿だからなんです。

そんな自然の姿を楽しみながら、
未知の中にただあるという安心感を感じていれば良いんです。

・遊びは遊んだもの勝ち!
そしてね。
良いを求めることで、その裏の悪いも掴んじゃうというクセについてはね。

もっとシンプルにただ決めるだけで良いんです。
良いとか悪いとかそんなん実は存在しませんのでね。

あ、オラ、これが好きだから、こうする!
ってね。シンプルにそう決めちゃえば良いんです。
そこに理由も根拠も良いも悪いも必要ないんです。
ただ決めるだけなんです。
好き嫌いに根拠は必要なく、好きを表現することこそがイノチの表現そのものなんです。 

takuteto.hatenablog.com

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