Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無条件な自分を心に刻む

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はじめに

はい。
どうもー。
おはようございます。
タクさんです。

みなさん。
今日も偉大な自分を感じておられますでしょうか?

いやね。
僕らって、いろんな責任を感じたり、
さらには、その責任に押し潰されそうになったり、
はたまた、何かと比べて自分がとっても小さく見えたり、
そんな自分に悲嘆したりってね。

自分というものに意味を感じられなくなって、
どうにも悲しく感じちゃったりすることってあると思うんですよね。

まーこれは、僕らが世界を捉える上では、
どうしても分離をして整理整頓しなきゃ始まりませんし、
分離をするうえでは、どうしても比較の概念を使わなきゃならないので、
どうしてもシステム上起こりがちな錯覚だったりするんですよね。

僕らが世界を捉えるには、なにかしらのテーマが必要になりますからね。
そして、そのテーマに沿った「自分」という概念もまたどうしても作られてしまいますので。

ただ、面白いのは、そうやって作られた自分っていうのは、
すべてイメージだということなんですけどねー。

 

内も外も内にある。

まあ僕らはね。
あらゆる世界観を掴む過程で、どうしても「自分」という概念を作り上げます。
この世界観というのは、いわゆるストーリーでして、言葉によって表現されます。
そのストーリーの主体となるもの。それが「自分」なんです。
だからね。
どうしても、この「自分」にとって嫌なストーリーばかりを頭の中で展開しているのなら、
「自分」に対して、どうしても足りないという思い込みを持ってしまうんです。
ストーリーは、主体と客体によって作られていきます。
そして、主体とは内であり、客体とは外なんです。

この時、内である主体が、外である客体に打ち負かされそうだと感じる時、
僕らは危機感を感じちゃうんです。

ただ、この内も外も本当は両方とも「自分」の中にある。

内も外も内にある。
っていうことなんですよね。

自分が足りないという錯覚

ストーリーとは、自分という概念を元に紡がれていくんですけどね。
その元となった自分が作ったストーリーによって自分が足りないという演出をするんです。
そして、その演出された自分の足りなさに悩むというわけです。
まあ、そんなストーリーがぽんぽんとあらわれてくるのは、
世界を捉える上で、どうしても避けられないことではあるんですが、
その演出によってあらわれる「自分の足りなさ」については、別に信じなくても良いんです。

あらゆる世界観、ストーリーには、必ずルールが存在します。
これは、どんなゲームにもルールがあるのと一緒ですね。

スーパーマリオというゲームには、キノコ王国というものがあって、そこのお姫様が
大魔王クッパという亀にさらわれて、マリオはお姫様を救いに行く。
この世界では、敵キャラクターに触れると死ぬ。
マリオは信じられない運動神経を持っている。

みたいなね。そんなルールがあるのと一緒です。

もちろん自分にとって慣れないルールに放り込まれたら、下手くそなのは当然です。
また、自分が好きじゃないルールに放り込まれても下手なのは当然なんです。

でもルールはあくまでもルールに過ぎないわけでして、
人格的に自分は足りないとかダメだとか、そんなわけはないんですよね。

得意なルールと不得意なルール

だから、いろんなビジネス書や孫子の兵法では、自分が得意なルールの中に相手を誘い込み、自分が勝てる環境をせっせと作り上げて、拡げていきましょう。
みたいなことが書いてあるわけですけどね。
まー、時には慣れないルールの世界観を付けられることもあるわけです。
そこで、自分の足りなさについて悩むなんてことは、
まるで、サッカー選手が、卓球が下手なことに悩むのと似たようなもので、
そんなことで自分をいじめる必要なんてないんですよねー。

偉大な自分を知る

そんなことよりも、大事なことは、
僕らはもっと自分の偉大さについてちゃんと知るということなんだと思います。
僕らは本来、とっても偉大なんです。
なぜなら、どんなルールをも超えたものが、本来の自分だからです。
ルールとは条件付けです。
そして、条件付けとは本来は存在しないものです。
だから、本来の自分とは、ありとあらゆる条件付けを超えた存在だということになります。

ちょっとややこしいのは、「自分」という概念もまた、条件付けの中にしか存在しない概念だということなんですけどね。
話がここに至ると、もう言葉では表現できない世界に突入してしまいます。
そして、言葉では表現できない世界こそ、あるがままの世界なんです。

無条件の自分を心に刻む

言葉で表現できない世界とは、無条件の世界です。
無条件のものは言葉では表現できません。
なぜなら、言葉は条件付けをするツールだからです。
ぼくらは何でもないものを条件付けして掴み取り、
世界観とストーリーを作り上げるんですが、
条件付けされたストーリーは、どこまでいっても幻想なんですよね。

自分の偉大さ、条件を超えた無条件の自分を
しっかりと心に刻み込んだ上で、幻想で遊べば良いんです。

そうじゃないと、ついつい、ミイラとりがミイラになる。みたいなね。
そんな錯覚が起こっちゃいますのでねー。 

takuteto.hatenablog.com

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