Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【中道と悟りの話】中道へと還るとき

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はじめに

ほい。
おはようございます。
僕の趣味の一つで、ギターというものがあるんですが、
最近はめっきり練習をさぼっております。

あまり練習をさぼっていると、いざ弾くと
ものすごく腕が落ちているようなきがするので、
怖くてあまりギターを手にできないといったような本末転倒な状況になっております。

みなさんは趣味への取り組みいかがでしょうか??

さてさて、
ギターといえば弦楽器でございます。
この弦は張りすぎると切れてしまい、緩めすぎると音が出ません。
この話。お釈迦さんの話でも出てきますよね。

お釈迦さんはソーナというお弟子さんに、悟りについて、この弦を例えに教えた。
なんて話が残っております。

張りすぎてもダメ。緩めすぎてもダメ。これは修行と悟りも一緒だよー。
ってなことです。

これが中道(ちゅうどう)ということなんですねー。

この中道とはありのままの姿でもあります。
僕らは頭の中で何かを捉える時、この中道を歪めなきゃならないんですね。

そして、何かを捉えた時、その歪めたことが忘れ去られるんです。
なので、僕らは捉えた見方を普通だと思ってしまうんですよねー。
いや、捉えた時点で歪めてるんやで!
なので、中道ということを思い出しなさいよー。
っていうのもまた、中道の教えなんだと思うんです。

 

中道とはこだわりがないということ

何かを捉える時に歪んでしまう。
この歪みとはなにかというと、ある種のこだわりのようなものです。

逆に言うと、中道とは、このこだわりがないと言うことでもあるんですね。
こだわりのなさ。これがあるがままの姿ですが、
僕らはこだわりがないと何かを捉えることができないんです。

中道とは、なんでもないものであり、言い換えるとどうでも良いことでもあります。

そして、こだわりとは、どうでも良くないことなんです。

どうでも良いとは、どっちでも良いということであり、
これは表も裏もないということでもありますし、
すべては、すでに許されているということでもあるんですねー。

悩みや問題の奥にあるこだわり

さて、僕らが悩むことや問題として捉えること。
これは、どうでも良くないからなんです。
つまり、問題の裏には、強いこだわりが存在しているんですよねー。

どうでも良くないからこそ悩み、
どうでも良くないからこそ問題として目の前にあらわれてくるんです。

でもね、その場だけの一回こっきりの悩みや問題についてはね。
まー、別に良いじゃないですか。
喉元過ぎれば、
ということで、終わったなら消えて無くなってしまいます。

みなさんも若い頃や昔を思い出してみると、今はどうでも良いことについて、
いろいろと悩んでたなぁ〜。なんてことがあると思います。

これは、昔は一時的に持っていたこだわりが今はこだわりではなくなったと言うことです。

ですが長期間にわたって、何度も何度もあらわれてくるような問題。
これについては、結構苦しまされたりしますよね。

これは、変わらずにずっと持っているこだわりがあるということでもあるんです。

こだわりは、好きの証(あかし)

さて、
こだわりが中道を妨げる。みたいな話になると、どうしてもこのこだわりを手放したい。
ってねー。
思うかもしれませんが、こだわりって別に手放さなくても良いんですよね。
こだわりによって問題となっていること。
これって本当は問題ではないんです。
これはある種のギフトでもあるんです。

こだわりを持つと言うことは、そのことが好きだという証拠でもあります。
そして、それは才能でもあるんです。

例えば、料理の味についてどうしても気になってしまう。
もう少し塩味を落とした方が美味しいのに、
ここはもう少し火を通した方がおいしくなるのに、
あー、なぜか自分の料理がまだ納得できない!
とかね。
これって料理の才能があるからこそ持つ問題だといえますよね。

つまりは、料理が好きだということでもありますし、その才能があるということでもあります。
才能は正しくギフトですし、言い換えれば使命だと思っても良いかもしれません。

となると、こだわりの意味も見えてくると思うんです。

こだわりは愛

僕らが持っているこだわりは、愛の裏返しでもあるんですねー。
だから、これはとても素晴らしいものであり、あって良いものなんです。

僕らは自分が持っているこだわりによって、自分は何か足りないものだと思い込んだりしているんですけど、
それは、ちがうんですよね。
むしろそれは才能なんです。
足りないどころか、多いんです。

そして、才能はギフトであり使命である可能性があるんです。

つまりこだわりって素敵なものなんですよねー。

この素敵さを発見したとき、それはあって良いものとなります。
そして、決して自分の中に何かが足りないということではないということにもなるんです。

そうなった時、もうこだわりは従来のこだわりではなくなるんです。
そして、このこだわりによって起こっていた問題もまた、あってもよかったんだ〜ってね。
発見されるんです。
そして、どっちでも良い。どっちも素晴らしいという中道に帰ってくるんです。

 

takuteto.hatenablog.com

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