はじめに
はい。
おはようございます。
「私ってサァ〜おっちょこちょいじゃん?」
とか言われると、知らんわ!
って思いながらも、
そ、そうなんだねー。
と相づちしちゃう心優しいタクさんです。
みなさんも生き生きと、
友人の「私って○○じゃん?」
に対応されておられますでしょうか??
僕らは自分の周りの人に、
「あの人はこんな人」
というレッテルをどうしても貼ってしまいますよね。
同時に、あなたの周りの人もあなたに対して、
「あの人はこんな人」
というレッテルがあるんです。
でも、あの人が思ってる私と私が思ってる私って必ずしも一致しませんよね〜。
これ、
私が思っている私も、あの人が思っている私も正解じゃないんですよね。
あなたが思っているあなた自身は正解ではない。
あなたが思っているあなた自身の話。
これって正解ではないんです。
それは、「私は〜」ではなく、単なる思いが起こっているだけなんです。
例えばね。
「私はドジなんです。」
って思ってるとするじゃないですか。
これってね。
本当に私はドジなのではなく、単に、ドジだと言う思いが起こっているだけなんです。
そこにスパイスとして、「私は〜」を付け加えているんですよね。
「私は臆病なんです。」と言う思いも一緒です。
単に、臆病だと言う思いが起こっているだけなんです。
ありとあらゆる「私」に対する思い込み。
これは錯覚なんです。
臆病。ドジ。怒りっぽい。寂しがり屋。
こう言った思いに、後から「私は〜」を付け加えているんです。
そうやって、単に起こっている思いにどんどん「私は」を付け加えることによって、
実際にはない「私」像を作っているんですねー。
私は〜ではないんです。
錯覚からはじまるボタンのかけ違い
でね。
この「私は〜である」
っていう思いを物語の土台の設定に組み込んで、
僕らは思い込みの物語を発展させるわけです。
「私〜である」という「〜」の部分に問題があるから、
この問題をどうにかしなければならない。
といった具合に物語を進めていくんですよね。
なので、どうしてもこの「〜」に対する解決方法から目が離せなくなってしまうんです。
僕らは「私〜である」が正しいと思い込むことから、
ボタンのかけ違いが始まるんですよねー。
かけ違えたボタンを全部外す
このボタンのかけ違いは、どういうものかと言うと、
例えばですが、
理屈では確かに「私はいない」「私は何もコントロールしていない」
といったことは、わかるんですが、
ではこのわかったことを、
「私は臆病である」という問題にどう当てはめたら良いんだろう?
といった疑問が出てくる。
といったようなかけ違いです。
これは、「私はいない」を理解した「私」がこれを「私」に起こっている問題に、
どう当てはめたら良いの?
みたいなね。
前後があべこべになってしまっているというボタンのかけ違いですね〜。
「臆病である」は実は問題ではないんですが、これに後から「私は〜」を付け加えることによって、大きな問題へと発展しているんですよね。
ここを丁寧にクリアにしていくには、まず今思い込んでいる「私は〜」というボタンを、一つ一つ外していってやれば良いんです。
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