Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【分離からの目覚め】分離には実体がありません

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はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

思考や心って僕らが責任を持つものじゃないんですね。
だって、それらは反応ですからねー。

じゃあなんで、思考や心に責任をもとうとするのか?
といいますと、それは、思考や心を「自分」がコントロールしている。
と勘違いしているからなんですよね。

だから、なんとか自分でより良い操縦方法を探ろうとしちゃうわけです。

でもね。
もし、自分が心や思考をコントロールしているのなら、
この世に悩みなんて存在しないわけです。

悩みが存在している時点で、コントロールしていないということが明らかなんですよね。

でもこれ。
面白いことに、
コントロールしてないことがバレちゃうと、悩みってぐんぐん減っていくんですよね。

だって、自分じゃないからね。
悩む必要性が失われるんですよね。

 

悩みはなくなるのではなくあってもいいということ

ただ、悩みがなくなるというイメージは、
毎日がバラ色!楽しくなる!
みたいなね。
そんな感じではありませんし、
嫌なことが起こらなくなるということでもないんです。

そんなん、起こってもええやん。知らんやん!
ってことなんですよねー。

また、このメッセージは、頭でわかってもなんの意味もありません。
そもそも、頭でわかったものは間違ってますのでね。
もし、頭でわかっちゃったものがあるのなら、それは違うので採用しない方がいいんです。

苦悩を解決する道具としては役に立たない

また、このメッセージを自分の苦悩を解決するための道具にしようとしても役に立ちません。
そもそも、その苦悩ってただそういう色付けをして見ているだけですやん!
っていう話ですからね。
結果的にその色付けが、色付けだと見破られることで楽にはなるんですけどね。
楽になろうとすると途端に苦悩がやってくるんです。

なぜなら、望んでいる楽は苦があってこその楽ですからね。
楽を認めると苦ももれなく付いてくるわけです。

分離はなくならないけど、もともと分離なんて存在しない

「まだまだ、心や思考の中に分離があるんです。」
なんてことをよく言われるんですけどね。
まだ分離があるのは当然です。
そもそも心や思考の中から分離を取り除くのは不可能なんですよね。
なぜなら、思考や心は分離の概念を使って働くものですからねー。

これを頑張って改造しようとしても無理なんです。

そして、心や思考が起こること。
これも避けられません。

心や思考が起こらないことを願うのは、
太陽が昇らないことを願うのと同じくらい無理ゲーなんです。

心や思考の分離の働き。
ここになんの問題もありません。
だからそもそも、この働きを消し去ろうとしなくてもいいんです。
だって、分離はイメージでしかありませんからね。
実際には分離は存在しないんです。

思考や心を置いておくということ

えー。でもあんただって、思考や心を置いておく。
とか言ってますやーん。
ってね。
言われるかもしれませんけどね。
僕らは、心や思考を自分だと思い過ぎてるんですよね。
この自分だという思い込みが錯覚を生んでいるんです。

僕らは映画の物語を見るのと同じように、
思考の物語を見ているんです。

映画に主人公がいるのと同じで、
思考の物語にも「自分」という主人公が登場します。

自分が思考や心を体験しているのではなく、
思考やこころの中に自分という概念も含まれているんですよね。

その自分はストーリーとセットになっていますので、
ストーリーごと、丸ごと置いておくことで、自分もまたいないことを知るんですよね。

置いておくこと。
これは何かをするということではありません。
誰も何もしてないということを改めて知るということなんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com

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