Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟り・目覚め】頭の中のおしゃべりとの付き合い方

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ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

喧騒と静寂。
これは同じものです。

静寂とは、音ではありません。
音がうるさくても静寂にあれますし、
また、音が何もなく静かなところでも、
僕らは喧騒の中にあることもあるんです。

うるさいなー!というのって、
実は思いなんですよね〜。

この思いが喧騒を演出しているんです。

外に降る雨、車の音。
この音に意識が向けられる時、
当然ながら、その音が認識されるわけです。
そして、この音を止めようとすると、途端に喧騒に巻き込まれるんです。

ま、普通は雨の音を止めようなんて思わないんですけどね。

ぼくらの頭の中のおしゃべり。
この中に気に入らないものがあれば、それを止めようとすることで、
その音の中に取り込まれていくんですねー。

 

頭の中のおしゃべりは現実に引き込んでくる

面白いことにね。
頭の中のおしゃべりに意識を向け、
そして、それを何とかコントロールしようとした途端、
どんどんおしゃべりの声は大きくなります。
そして、大きくなったおしゃべりに耳を傾けていくと、
今度はイメージも追加されていくんです。
そして、このイメージをじっとみていると、
今度は体の感覚さえも感じられてくるんです。
そうやって、頭の中のおしゃべりは、
仮想のリアル感を演出していくんですよね。
なので、いつしか僕らはこのおしゃべりに取り込まれてしまうんです。

おしゃべりの正体

この頭の中のおしゃべり。
これって、窓の外で降っている雨をみているのと似ています。
ただ、窓の外で降っている雨。
これは、何の問題もありません。濡れることもありませんしね。
でも、外で降っている雨に向かって、
「これじゃいかん!止めなければ!」
ってね。
外に出ていって、雨をとめよう!なんてことをすれば、
当然のことながらずぶ濡れになります。
そして、ずぶ濡れになればなるほど、
「いかん!このままじゃもっと濡れてしまう!早く雨を止めなければ!」
ってね。
もがけばもがくほど、濡れてしまうんです。
頭のおしゃべりに取り込まれる様子も、それと似ているんですよね。
そして、いつの間にか、雨も止み、おしゃべりも止まるんですけどね。

静寂にただあってみる

外に降っている雨って、普段はあまり気になりませんよね。
特に外に出る予定がなければなおさらです。
そんな感じで、思考のおしゃべりもわざわざ出向かなければ、
それは素敵な風景の一部なんです。
お茶でも飲んで、ゆーっくりとくつろげば良いんです。
すると、雨音も特に気にならなくなります。
すると、すーっと静寂が広がっていくんです。

そんな静寂にただあってみれば良いんです。

じわりじわりと目覚めるとき

静寂は最初は退屈に思えるかも知れません。
僕らは結構、興奮依存症になっていたりします。
これは、自分の感覚が喧騒の中にあることへの依存です。
緊張感への依存が典型的なものです。
だから、退屈なものに対して、最初は抵抗感を感じるかも知れません。
でも、ただあってみることをやってみると、
徐々に、ただ在る。この静寂の中からじわりじわりと湧いてくる、
興奮とはまた違う、懐かしい緩やかなワクワク、そして至福。
きっとそんな感覚が身体中に巡ってきてくれるんです。
大丈夫なんだ。私は許されていたんだという感覚と一緒にね。

これはもう興奮よりもやさしく、それでいてとてつもなく大きな、
まさに全てなんです。

それが常に、いま、ここに在るんですよね。

 

※セッションの後、このブログの見え方がガラッと変わった!
なーんて声もよくいただいています!

takuteto.hatenablog.com

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