Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

手放すのは手放そうとする自分。

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はい。
どーもー!
おはようございます。
タクさんです。

手放し!とか許し!
とか、

感謝!

とかね。

ゆーたりしてるわけなんですけどね。

こんなん、遊び半分でやってみるって感じでいいんですよねー。

頑張って入るけど、

まだ、許せない。
まだ、手放せない。

みたいなね。
そんな完璧を目指さなくてもいいんです。

修行に修行を重ねて、何事にも動じなくなる自分になるっ!
みたいなね。
そういう話じゃないですからねー。

別に手放せなくてもいいし、許せなくてもいいんですよね。
それが自然なことですし、
なんなら、それで完璧なんです。

つまり、手放すのは手放そうとする自分。
ということなのかもしれませんねー。

ま、あれですよ。
私はもう一切のことに動じたりはしませんし、
全ての思考は私からは消え去っています!
とかいう人がいたら、それは信じちゃダメです。
まー、あとは、自分には特別な能力があるとかいう人かな。

それはもう、その人自身が幻想にハマりまくってるからですねー。
なので、信じると、同じ幻想を植え付けられちゃいます。
そしてその幻想の中でマウンティングされちゃうわけです。

ま、その幻想を楽しく遊ぶのならそれはそれで良いんですけどねー。

 

すでに完璧だということ

僕らが何かを手放すとか何かを許すというのは、
何かを忘れるためではありません。
手放す。許すは、忘れるではないんです。

問題を忘れて楽になるということじゃなくて、
問題を問題として抱きしめてあげるということなんです。

抱きしめるということが手放すということであり、許すということなんです。

だって、もう全てが完璧だから、そこに問題はありません。
でも、それを問題だとすることによって、問題とされたそれは傷ついているんですよね。

だから、手放す。許すは忘れるではなく抱きしめてあげるということなんです。

問題だと思っていることは問題ではない

抱きしめてあげることによって僕らは気づくんです。
それは、その問題がそこにあって、良かったこと。
それが許されていたことに気づくんですね。
そこにあって、よかったし、許されていたのであれば、それはもう問題ではないんです。

だれだって、悪くないのに、
「お前は問題だぞー!それはいかんぞー!」
って言われちゃうと傷つきますよね。

僕らが何かを問題だと糾弾する時、
糾弾されるのもまた、自分自身なんです。

僕らは何かが足りないという思い込みをここで持たされるわけですが、
それは、ほかでもない、自分自身によって糾弾されて傷ついているんです。

だからね。抱きしめてあげることによって、その誤解をといてやらなきゃならないんですよね。

手放すのは手放そうとする自分。

するとね。
何も手放すものなんてないじゃん!ということに気づくんです。
だって、もう完璧に許されていたわけですからねー。

ただ、そうは言われても、そうは思えないたくさんの理由が浮かび上がると思うです。

その浮かび上がる全ての理由が、思い込みに過ぎず、思い込みは真実ではないんです。

※よかったら、お話ししてその辺の誤解を一緒に解いちゃいましょう。
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takuteto.hatenablog.com

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