Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【問題は「今」にはない】今、ここに在るということ。

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はーい。
おはようございます。
タクさんです。

ま、僕らは常に今を生きているわけですよね。

過去を生きたこともなければ、未来を生きたこともありません。
常に今です。

仮にね。タイムマシンに乗っかって、過去の世界に行ったとしてもね。
その過去の世界はもう今なんですよね。
僕らは今から逃れることはできません。何があっても常に今です。

そしてねー。
この今には、一切の問題ってないんです。
僕らは常に今に生きていて、その今は問題がない。
となると、じゃあこの問題ってなんやねん?
って話なんですけど、
それは今に生きていながら、今じゃない演出された世界を見ているからなんです。

今じゃない世界とは、まさに夢の世界と同じです。
つまり、夢想された世界なんです。
でもこの夢想された世界から徐々に今に戻ってくることで、
ああ、確かに僕らは今からは逃れたことってないんだな〜。
なんてことに気付けるわけですねー。

というわけで、今日は「今」をテーマに書いてみたいと思います。

 

今の中には問題はない

ま、僕らは今を生きているということに異論はないと思います。
でも、私は今を生きている。ってね。実はちょっと間違いなんですよ。

なぜなら、私が生きているわけではないからなんです。

みなさん、ご自身が生きているわけじゃありませんよね。
ただ、生きていることに気づいているだけです。

つまり先に生きていて、その生(せい)に「私が」を思考で付け加えられているんです。

生きるのに何かをしているわけじゃありません。
腹が減ってきたらその信号を送ってるのもあなたではありませんし、
心臓の鼓動を管理運営しているのもあなたではありません。
血液をうまく全身に巡らせているのもあなたではありませんし、
そもそも、私が生きている!なんて思い込みを起こしているのもあなたではないんです。

ただ、僕らは起こってきたことに気づいているだけです。

この気づき。これがまさに「今」起きていることなんですよねー。

そして、この気づきには、一切の問題はありません。
なぜなら、気づきは解釈ではないからです。

僕らは、この単純な気づきに解釈を加えた時、この解釈の中に問題が生じているわけです。
この解釈もまた、「自分」がやっているわけじゃないんですけどね。
僕らがやっているのは、せいぜい、解釈をさらに解釈する時に、この解釈に抵抗しようと、もがこうとすることくらいしかできません。
でもこれもまた、もがこうとしていることに、気づいているだけで、もがいている主体者は存在していないんですよねー。

今から目を離した時、問題が演出される

「今」起こっていること。ここに問題はないわけですが、
僕らは、自然にこの起こっていることに解釈を加えていきます。
「こんなことが起こるべきではない!」という解釈や、
「これは素晴らしいことだ!」といった解釈です。

素晴らしいこと、良いこと。
こう言った解釈には、べつに問題はありませんよね。
だからなんのことはないんですが、
良くないことの解釈について、ここに問題があると感じるわけです。

そこで、僕らの思考は瞬時にこの問題を解決しようと動くわけです。
その時に、どのように動こうとするのか?といいますと、
良いことの解釈には別に問題がないので、この解釈を良い方向に変えようとするわけです。

これがうまくいけば、もうそれでおしまい!です。
めでたし、めでたし。
ということなんですが、この方向転換が、どうにも思考の中のシミュレーションの中でうまくいかない場合、問題が残っているような感覚を感じるんですよねー。

これが、問題が演出された状態なんです。

その時、もう「今」はおもいっきり無視されています。
解釈の中のストーリー。このストーリーは過去と未来について描かれているわけですが、
もう意識は「今」ではなく、「過去」と「未来」に飛んでしまい、「今」は忘れ去られているんです。

「今」しか生きていないのに、その「今」が忘れ去られている時だけ、僕らは演出された問題にクギヅケになっているんです。

今にリラックスするということ

なぜ、解釈に注目すると「今」がおいてけぼりにされるのか?
といいますと、ありとあらゆる解釈は記憶だからです。
この記憶というのは、全て見てきたことや聞いたことでできているわけですが、
これは、見てきたこと、聞いたことを加工したものなんですよね。

そして、解釈というのは、いわゆるジャッジです。判断ですね。
この判断が起こることによって初めて「問題」が演出されるわけです。

この時、もう記憶、すなわち解釈によって演出されたストーリーに、
もうどっぷりなんですよねー。
まさに、夢を見ている状態と一緒です。

さて、リラックスできないこと。すなわち問題は思い込みの中にしか存在しません。
僕らはついつい、この問題に対して解決法を探すか?もしくは思い込みを変えようと四苦八苦しちゃうもんですが、それは、うまくいく時もあれば、いかない時もあります。

まずは思い込みを置いておくこと。
今に在ってみること。
これが夢から覚める第一歩となるんです。

純粋な今にあればあるほど問題はなくなる

僕らは、「今」から逃れられることもなく、常に「今」にあります。
そして、「今」以外のものは、起こるはずがないんです。
過去と未来は同じものです。
記憶から演出される思考の中のストーリーなんです。
もし、そんなストーリーが頭の中で奏でられているのだとしたら、
単にそれが「今」起こっているだけなんです。
そして、それが起こっていることに対して、なんの問題もないんです。
だから、起こらせておいてあげれば良いんです。

起こらせておいてあげれば良いということ。
これが受け入れられると、もうストーリーは展開されません。

良いことは起こっては消えていくからなんです。

だから起こらせておいてあげると、より純粋な「今」が目の前に蘇ってきてくれるんです。

ストーリーが展開されないから、「今」が蘇ってくるんです。

この「今」を意味づける必要はありません。
意味づけの全ては解釈であり、解釈は記憶からの判断です。
これらは全て「今」を表現することはできないんです。

 

※ブログという形ではなかなか表現できないことも、
お話をすることによって、より表現できることってあるんですよね〜。
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takuteto.hatenablog.com

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